キングダムの裏話

史実の王翦にピックアップしてみました。キングダムとは一味違う??

王翦(おうせん)将軍の意外な素顔

キングダムの漫画では王翦という将軍が登場します。
息子に王賁(おうほん)がいますが、親子関係はどこかギクシャクしている感じですね。
それと、将軍の家系に生まれた王賁と主人公の信の言い争いもあったりします。
しかし、お互い切磋琢磨しているように描かれています。王翦は、仮面をつけていて、冷たい目で周りの人間をみたり、冷徹なようにも感じるのではないでしょうか?
さらに、怖い顔をして「私は“絶対に勝つ戦”以外興味はない」とも言っています。
これを見る限りキングダムの王翦は、頭は非常に冴えてはいるがとっつき難いイメージがあるのではないでしょうか?
ここで史実の王翦を見てみましょう。
以外にも保身のプロ、おべっか野郎みたいな評価もあるのです。

史実の王翦

キングダムには、架空のキャラも数多く登場しますが、光を放っているのが実在に活躍した将軍ではないでしょうか?
王翦は、最初に行ってしまうと、実在の人物です。ちなみに、司馬遷の書いた史記では、一世代前の名称である白起と共に「白起・王翦列伝」が存在します。
ちなみに、キングダムの主人公である「李信」の列伝は存在しません。ただし、「白起・王翦列伝」の中に、その記述はあります。
ただし、この列伝を見る限りでは、完全に王翦の引き立て役ですね。ちなみに、趙と楚を亡ぼしたのは王翦です。さらに、息子の王賁が魏・燕・斉を亡ぼすのに活躍したことを考えれば、王賁の一家と言うのは、秦に対して多大な貢献をしたわけです。
ちなみに、趙には李牧がいるのに、どうやって亡ぼしたかと言えば、史実だと趙王が李牧を疑い殺してしまい、趙に名将がいなくなったところで、王翦が攻め込み趙を亡ぼした事になっています。
これだけだと名将とは行かないのかも知れませんが。王翦の最大の見せ場は、楚軍のとの戦いでしょう。

項燕対王翦の戦い

王翦の最大の見せ場として、項燕との戦いがあるでしょう。
最初に秦王政が李信に問いました。楚を亡ぼすのに、どれくらいの兵が必要かと。それを聞いた李信は「20万で十分だ」と言います。王翦にも同じ質問をしたところ「60万の兵が必要」とのこと。
これを聞いた秦王政は王翦が老いぼれてしまったと思い李信と蒙恬(もうてん)に20万の兵をつけて楚討伐に乗り出します。
項燕対李信・蒙恬の戦いになるのですが、初戦は信達が勝利を収めます。しかし、結局は、項燕に破られてしまい大敗してしまいます。
そこで、秦軍60万を率いて項燕と戦ったのが王翦です。戦い自体を簡単に説明すると、王翦は60万の兵士を率いて出陣はしたが、砦に籠ってばかりいて出撃しませんでした。楚軍が挑発しても、一向に戦おうとしません。
ただし、楚軍の兵士には食料は休息を十分に与えて英気を養うようにしました。
その結果、兵士は力が有り余り遊びだすものまで現れました。これで王翦は見方の兵士が使えるようになった事を悟ったようです。しかし、楚軍から見ると、秦軍は攻める意志がないように思えたわけです。
そこで、秦軍は攻めて来ないと判断して、項燕は撤退命令を出します。この時を待っていたかのように、秦軍は全軍をあげて追撃戦に掛かりました。後ろから襲われた項燕は軍が壊滅してしまいます。王翦は、勢いに乗って楚の首都まで陥落させたことで楚は滅亡しました。
その後、項燕が昌平君を王にしたという記述があります。
既にキングダムで秦で活躍している昌平君が何らかの形で楚にいて項燕により王に建てられたようです。
しかし、その昌平君と項燕の軍も破り楚を完全に王翦は亡ぼします。
キングダムでの言葉でもあったように「絶対に勝つ戦」をしたという事なんでしょう。

王翦は保身に走っていた

王翦は、名将とは言えますが、60万の秦軍を率いて、楚を攻めるときに、次のエピソードがあります。
それは、秦王政に対して、「褒美には良い土地をくれ」とたびたび、使者を出して秦王政におねだりしたとのこと。それを何度もやるわけです。しかし、王翦の言い分としては「秦王政は疑い深いから、土地のためにやっているんだ」と言う事にしないと疑われてしまうからだそうです。
この記事を書いている時点で、本編のキングダムではここまで行っていません。
そのため、王翦の土地おねだり事件?をどのように描くのか楽しみにしています。あの堅物そうな人がおねだりなんてするのかな?とも思いましたが、描かないわけにはいかないと思います。
しかし、秦王政と示し合わせて、項燕を油断させるための策略として描かれる可能性もあるでしょう。
しかし、ここもキングダムの見どころの一つと言えるでしょう。

王翦の評価

王翦は名将であることは間違いないでしょう。
しかし、司馬遷は王翦に対しての評価はこのようにも評価しています。
始皇帝(政)に合わせる態度ばかりを取り、秦国の根本を固める事が出来なかった。孫の代で王離(王翦の孫)が項羽に捉えられたのも当然だと言うのです。史記の中では、名将でしかも保身も上手だったけど、政に対して諫言をしたりすることはしなかった。これが短所だと言える。という評価です。
キングダムの世界では、媚びを売ったり保身に走るようには見えませんが、これから突然、キャラが変わるのでしょうか?
マスクを取ったら実はお笑い系のキャラだったとかのオチはない事を祈っています。

王翦の子孫

王翦の息子は、王賁でこの二人は名将と言えるでしょう。
しかし、秦は始皇帝(政)が死んでからわずか4年で滅亡してしまいます。
その時に、王翦、王賁は亡くなっていたと思われます。
さらに、秦末期に李信も登場はしないので、既に亡くなっていると思われます。王賁の息子が王離です。
ちなみに、反乱軍である項羽に捕らわれて殺されてしまうわけですが、
項羽は項燕の子孫です。つまり、孫の代のリターンマッチでは、王家は項家に敗れているわけです。歴史とは因果のあるもので、面白い物ですね。

3代連続で名将はありえない

追記です。王翦、王賁は、秦の統一に大きく貢献をしました。
斉を亡ぼした後は、すっきりと歴史から姿を消してしまいます。
もしかして、王翦や王賁が生きていたら、秦末期の反乱を鎮圧したかも知れません。しかし、その時には、王翦、王賁は既になく王家では王離の時代になっていました。
王離は、物語などでは、章邯の副将として登場しますが、実際には章邯は囚人たちの寄せ集めの軍勢を率いて戦ったので、秦の正規軍を率いたのは王離でしょう。
キングダムでも登場している蒙恬は統一後は秦軍を率いて、北方の敵である匈奴を30万の軍勢で討伐しています。
そして、万里の長城を建設したりしていましたが、2世皇帝の時代に、趙高により処刑されています。蒙恬が率いていた30万の軍勢を次に指揮したのが王離だったようです。
この30万の秦軍の精鋭部隊を率いて、秦末期に復興した趙に攻めかかったわけです。
そして、囚人ばかりの寄せ集めの軍勢である章邯には、自分の軍勢の補給を命じたのが実際のところでしょう。
この時に、ある人が「王離は秦の名将だから、趙はすぐに滅亡する」と言ったそうです。
しかし、別の人は「そうはならない、3代続けて将軍になると、必ず敗れる。なぜ敗れるかというと、殺した人数がきっと多い。その祟りが来る」の述べたという話が史記にあります。
実際に、王離は項羽が救援に来た時に敗れて虜にされてしまい、その後の消息は不明になりますが、趙での戦いを見る限り名将には、ほど遠いと思いました。これだったら、秦軍30万の正規軍は章邯に率いさせた方がよかったのでは?と思えるほどです。
鉅鹿の戦いが舞台になるのですが、王離は圧倒的な戦力を保持しながらも、趙の鉅鹿の城を落とすことが出来ません。
趙の中枢の人物の陳余という人物が諸侯を回り援軍の要請をしました。
援軍は来たのですが、秦軍が大軍でしかも正規軍と言う事もあって戦闘に参加せずに、状況を見守る事しか出来ませんでした。
趙の方は鉅鹿が落ちれば滅亡だから一致団結して必死に戦ったんだ。と思うかも知れません。しかし、実際の趙の方では、宰相である張耳と将軍である陳余が既に反目しあっていて、とても一致団結しているような状態には思えません。
結局、楚軍を率いた項羽が趙を救うのですが、その後に、張耳と陳余は大喧嘩をして絶縁しています。このことからも分かるように、趙の方でも内部分裂を起こしているのです。
さらに、最初に楚軍を率いたのは宋儀という人なんですが、趙の救援に行きながら、46日間も助けに行かずに、同じ場所に滞在した記録もあります。
結局、宋儀は項羽に斬られてしまうわけですが、46日間の同じ場所での滞在により、楚軍が到着するのもかなり遅かったことが分かります。
鉅鹿の城を落とすのに最高?とも言える状況が整っていたのではないかと私は思っています。しかし、王離は鉅鹿の城を落とせずに、救援に来た項羽の3万の軍勢に30万の軍勢が敗れるという事態に陥っています。
これを見る限りとても名将とは言えないでしょう。もしかして、その当時の秦は趙高が牛耳っていて腐敗しまくっていましたし、次々と粛清されている事を知っていて、やる気がなかったとか、どうすればいいのか分からない状態になっていた可能性もあります。
それか、秦の公子が自分のところまで逃げて来て、それを立てて30万の軍勢で秦を攻めて首都である咸陽を陥落させる狙いがあった可能性はあります。
しかし、とても名将というイメージはありません。
王離の名誉のために行っておけば、鉅鹿の城に対して王離の猛攻は凄かったという話もあります。
陥落寸前だったという話もあるのです。それでも、やはり城を落としていませんし、秦の正規軍を大敗させた責任があるので、やっぱり名将とは言えないと思います。
実際に、ここで王離が勝っていれば歴史は大きく変わったでしょう。
もしかして、鉅鹿の戦いでは王翦が秦王政にやったように、土地のおねだりを積極的に趙高に働きかけていたのかも知れません・・・。
土地の約束が確定される前に項羽に攻撃されてしまって大敗したのかなと・・・。
まあ、そんな事はないと個人的には思いますが・・・。
それでも、3代連続で名将と言うのは無理があるんだなと思いました。

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