キングダムの裏話

李牧は悲劇的な死に方をしていた。

趙の名将・李牧

キングダムの読者で言えば、李牧と言うのは、ちょっとカッコイイ感じで書かれています。
まあ、「ほうけん」の助けもかなりありますが、軍師風のカッコイイ男として描かれています。キングダムの読者の中には、李牧はどういう最後を迎えるんだろか。もしかして、信に斬られるのでは?とか考えてしまう方もいるかも知れません。
ここで、李牧とはどういう人でどういう活躍をしたのか、見ていきたいと思います。
ちなみに、私はキングダムの世界で名将を3人上げろと言われたら、李牧、廉頗、王翦の3人をあげると思います。

北方の守備隊長

李牧と言うのは、宰相として登場したりもしますが、李牧が宰相だったという記述はキングダム以外で見た事がありません。
史記などでは、北方の守備隊長として登場します。北方の守備を任されるわけですが、敵が攻めてくると、城に籠ってばかりで戦おうとしません。自分の味方の兵士も李牧の事を臆病な人だと思っていたそうです。
趙王も李牧に戦えと命令しますが、李牧は守ってばかりで戦おうとはしませんでした。損害も大してないけど、何の手柄も立てない状態でした。趙王もついに李牧を解任して別の人を隊長にしました。
すると、この隊長は敵が攻めてくるたびに、出陣して戦ったのですが、被害ばかりが増えてしまい、手柄を上げる事が出来ませんでした。趙王は非を悟り再び李牧を隊長に命じます。この時に、李牧は趙王に「自分のやり方に口を出さない事」を条件に隊長を引き受けたとされています。この後、また守備重視の方針でやったとされています。
兵士の待遇がかなり良かったらしく兵士が自分から戦いたいと李牧に話したそうです。それを聞いて李牧は喜んだとされています。
その後、敵が攻めてきたときに、わざと負けて敵を油断させたとされています。そして、敵が李牧は弱いと判断して大軍で攻めてきたときに、敵は油断して突っ込んできたのでしょう。
しかし、李牧は鳥の羽を広げるような陣形を用いて、敵を破ったとされています。つまり、鶴翼の陣を使ったと言う事なのでしょうか?実は、西の方ではカルタゴの名将ハンニバルの左右の騎馬隊を重視した戦法を使っているので、東西で名将が鶴翼の陣らしきものを使っていた可能性があります。
その後、北方に攻め込み匈奴などを大敗させて匈奴などは10年間に渡って趙に手を出せなかったとする説があります。
私は簡単に書きましたが、これについては、史記にしっかりと内容が書かれていたはずです。

その後、秦軍を相手に連戦連勝

北方での手柄が認められて、中央に召喚されたのでしょう。
尚、廉頗が魏に亡命するなどの事件もあった関係で李牧が呼び出された可能性もあります。しかし、ここでも李牧は大活躍します。燕の城を落としたり秦軍が攻めて来ても撃退したりと大活躍しています。桓騎を破ったりもしているのです。
ただし、キングダムのように春申君と共に函谷関を攻めたという記述はありません。この時代ですが、楚・魏・燕・趙・韓・斉などの国がありましたが、秦軍の圧倒的な強さの前に太刀打ちが出来ない状態で、秦軍を撃退出来るのは李牧だけだったとも言えるでしょう。

李牧の悲劇

秦軍は司令官を王翦にして趙を攻めます。別ページでも書きましたが、王翦と言うのは李牧と並ぶ名将です。
王翦対李牧という戦いになるのですが、決着は意外なところで付いてしまいます。王翦が名将と言っても、李牧には簡単には勝たせてもらえません。もちろん、秦軍は苦戦してしまうわけです。
そこで、秦の首脳陣は趙の佞臣である郭開という人物にお金を渡して、趙王に李牧が反乱を起こすと吹き込ませました。李牧の能力の高さを分かっている趙王はその考えに乗ってしまいました。
名君と呼ばれるような人であれば、さっさと郭開の首を斬ってしまったんでしょうが、そうはならずに趙王は李牧を解任させようとします。
しかし、李牧の方は自分が解任されてしまったら趙軍が敗れる事は分かっていたのか、解任要求を受けませんでした。李牧って少し、頑固なところがありますよね。その後、趙王はますます李牧を疑い今度は、李牧に刺客を放ち殺してしまいました。
李牧は戦場で死んだのではなく、趙王に疑われて死んでしまったんです。このあっけない死にほくそえんだのは、王翦だったのかも知れません。
趙軍は別の人を総大将にするのですが、王翦にかなうはずもなく大敗しています。そして、李牧が死んだ3か月後には趙は滅亡しました。
趙の場合は李牧を殺した事で滅亡が決定的になったとも言えるでしょう。どちらかと言えば、趙は自滅していますよね。こんなやり方してたら滅びるのは当たり前ですね。
ちなみに、秦は敵に名将がいると、その国の佞臣にわいろを与えて、名将を悪く言い王様に殺させておいてから、秦軍の名将を送り込み勝利を得ると言うのがパターンになっています。
李牧もかなり悲劇的な死だったと思います。キングダムの作者の方が、この辺りをどうやって描くのか楽しみです。
だけど、信に真っ二つに斬られるとかは見たくはないような気がします。



追記

キングダムでは李牧が蔡沢に連れられて斉王建と一緒に秦の都である咸陽に来て秦王政と会談を開いたことになっています。

その席で、李牧は秦王政に秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の7カ国に使者を送り同盟を結ぶ事を提案しています。

李牧の言うには、国が滅びようとするときは、すごく抵抗があり被害が大きくなるから、戦争をやめて中華7カ国で同盟を結ぼうと提案をしたわけです。

しかし、秦王政は自分や李牧は生きている間はいいが、いなくなってしまったら世が乱れるから同盟はしないと拒否しました。

それに対して、李牧は秦のどの将軍が来ても必ず撃退すると声を大きくして言いました。

しかし、史記や戦国策などの書物では李牧が秦に行って、秦王政と会談をしたなどの事実は一切ありません。

そのため、この話はキングダムのオリジナルの話です。

ただし、そこで李牧が秦を討つのに趙に引き込んで討つと言っていた言葉が印象的でした。

実際に史実だと、趙はかなりこの時点で秦に痛めつけられています。

既に、何十万人も斬られているわけです。

つまり、この当時の趙は秦に攻め込むだけの力はなかったのではないでしょうか?戦国時代の最後の方になると、秦を単独で攻撃する事は出来ない状態になっていたようです。

さらに、春申君率いる合従軍が函谷関で敗れてからは、合従軍も起きてはいません。

そのため、李牧の言葉の裏には、秦を倒すではなく、趙を秦の侵攻から守り抜くといった要素が強いと思いました。

この後、李牧は何度か秦軍を破ることになるでしょう。

ちなみに、桓騎を李牧が破る事は確実です。

しかし、最後は・・・ですね。


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