キングダムの裏話

趙高が秦を腐敗させて滅亡においやったと私は思っています。

趙高が登場

キングダムでは既に、趙高が登場しています。
実際に、この趙高が秦を亡ぼすと言っても過言ではありません。趙高と言うのは、史記には趙王家の遠い子孫のような事が書かれていたと思いました。
まあ、苗字に趙が付きますが、趙と関係がある人物と言う事なのでしょう。中国では皇帝や王などに使える男性として宦官という人がいました。去勢された男性の事です。趙高も宦官だという記述があります。宦官なんて男だったら、絶対になりたくないと思うかも知れません。
しかし、宦官になると皇帝や王様にお近づきになれるので、出世のために宦官になった人もいると言う事です。しかし、趙高の場合は生まれてすぐ去勢したという記述があったと思いました。
実際に、政が死んだ後に趙高は権力を振るうわけです。ちなみに、趙高が馬鹿の語源を作ったという説があります。その話は最後に記載しておいたので読んでみてください。

政が中国統一後に何が起きるのか?

キングダムのネタバレになってしまうのですが、王翦、信、王賁、蒙恬などの活躍により秦は天下統一を成し遂げます。その後、平和な世の中になってしまったせいか、王翦、信、王賁などは登場しなくなります。
蒙恬だけは、30万の軍勢を率いて北方を討伐するとか、万里の長城を築くなどの記述があります。その後、始皇帝(政)の焚書坑儒などがあったり、各地に巡幸したり阿房宮と言った大宮殿を建築するなどをします。
そして、宰相には李斯を任命して、趙高を側近にして趙高を寵愛したようです。統一後に信などの武将はどうなったのかも分かりません。
始皇帝が死んだときに、蒙恬は出てきますが、信や王翦、王賁は出てきません。既に、死んでしまったのか、それとも天下統一して世の中が平和になったので、将軍はやめて、どこかで平和に暮らしたのかも知れません。その辺りは、全然分かりません。始皇帝は、各地を巡幸している時に亡くなりました。
この時に、お供にいたのが、趙高、李斯、胡亥(こがい)の3人です。趙高が策略を練って、始皇帝が胡亥を跡継ぎにするようにして、李斯、胡亥を説得したとされています。
李斯も始皇帝が死んだ後に、宰相にいられる保証もなかったので、この提案を受け入れ胡亥が2世皇帝となります。この時から趙高が完全に権力を握っていきます。
本来の世継ぎになるはずだった、扶蘇には偽書を送りつけて自殺させます。
さらに、自分に権力を集中させるために、李斯を罪に陥れて殺しています。さらに、蒙恬も罪に陥れて殺していますし、かついて秦を支えてきた人たちを殺しまくるのです。
しかし、始皇帝が亡くなった時に、世の中は既に乱れ始めていて、反乱が多発していました。陳勝・呉広の乱や楚の項燕の息子である項梁や項羽も挙兵していますし、その軍の中には、後に漢の皇帝である劉邦もいました。
王離(王賁の子)や章邯が鎮圧にあたりますが、結局、反乱軍を抑える事が出来ずに敗北をします。
尚、この時に王離や章邯が反乱軍を鎮圧していたとしても、いずれは趙高に処罰されていたでしょう。あと、秦の宮廷内が腐敗していた事も分かっていたと思いますし、他の人が無実の罪で処罰されるのを見て、心が乱れていた可能性もあるでしょう。
この反乱の責任を趙高は2世皇帝になすりつけて、2世皇帝をも殺害します。
そして、秦の公子であった子嬰を王に立てるのですが、子嬰が今度は趙高を暗殺してしまいます。しかし、趙高がいなくなっても、反乱軍を抑える事が出来ずに、武関を劉邦に破られて子嬰は降伏しました。
さらに、項羽が到着すると子嬰は首を斬られて、これで秦は滅亡したのです。結局、重臣を趙高が殺しまくったので、秦の土台が揺らぎ滅亡に向かったとも言えるでしょう。
秦を滅亡させたのは、趙高だともいえるわけです。

趙高が馬鹿の語源を作った?

趙高が馬鹿の語源を作ったという説があります。
趙高は、朝廷内で自分のいう事を聞く奴と聞かない奴を判別する方法を思いつきます。
2世皇帝の前に、鹿を連れてくるわけです。趙高は、この鹿の事を「これは馬だ」と言います。そして、群臣に「馬」に見えるか、「鹿」に見えるかを問いました。
その時に、ある人は正直に「鹿」だと言い、ある人は「馬」だと言いました。
趙高は、正直に鹿だと言った人は自分のいう事を聞かない可能性があると判断して、全員殺してしまいました。これが馬鹿の語源になったとされています。
馬鹿正直と言う言葉もありますが、これを考えると嘘をつくと言うのも大事な事なのかも知れませんね。

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