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構成・文/宮下悠史

春秋戦国時代

繆賢(びゅうけん)は趙の名宦官

2021年2月25日

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繆賢は戦国時代の趙の恵文王に仕えた宦官です。

宦官と言えば、趙高や三国志の十常侍のイメージが強く「悪」だと考える人もいるのではないでしょうか。

しかし、歴史を見ると決して全ての宦官が悪ではない事が分かります。

繆賢は趙の名臣となる藺相如を推薦した宦官でもありますし、繆賢がいなければ廉頗と藺相如の刎頸の交わりは結ばれる事はなかったはずです。

それを考えれば、管仲における鮑叔が、藺相如における繆賢となるのではないでしょうか。

歴史を見ても、名臣と呼ばれる多くの人材が誰かに推挙されて、君主に能力を認められ世に出ているわけです。

それを考えれば、繆賢は宦官と言えど功績は大きいと言えます。

 

繆賢の家来になった藺相如

繆賢は、趙の恵文王の寵愛された宦官だった話があります。

単純に繆賢と趙の恵文王は気が合ったのか、世話の焼き方が上手かったのか分かりませんが、趙の恵文王にとって繆賢はお気に入りの宦官でした。

宦官であっても、王に気に入られる事が出来れば財を成す事も出来ますし、朝廷で意見をいう事が出来ます。

この宦官繆賢の家来に藺相如という男がいました。

藺相如が繆賢の家来になった経緯は分かりませんが、藺相如が史書に登場する時には、既に藺相如は繆賢の家来となっています。

繆賢が宦官だった事から、藺相如も宦官だったのでは?と考える人もいますが、宦官だった記述はありません。

藺相如宦官説に関しては、様々な意見があります。

 

繆賢が燕王と誼を結ぶ

趙の恵文王と燕の昭王が国境付近で、会見した時に繆賢もお供しました。

その時に、燕の昭王は繆賢に会い手を握り「友人になって欲しい」と言われたそうです。

これを真に受けた繆賢は燕王の後ろ盾が出来たと思ったのでしょう。

尚、この時の燕は斉により壊滅的な打撃を食らっていて、弱小国になり果てていました。

燕の昭王は郭隗の進言(隗より始めよ)に従い、楽毅劇辛などの賢臣を集め、多くの人物にへりくだっていたわけです。

燕の昭王は斉への復讐を果たす為であれば、宦官の繆賢に対して頭を下げるなどは容易く出来る事だったのでしょう。

 

恵文王の怒りを買う

ある時、繆賢はミスをして恵文王の怒りを買います。

どういうミスをしたのかは、分かりませんが、繆賢がミスをした事は間違いありません。

その時に、繆賢は恵文王の怒りを恐れ、燕に逃亡しようとします。

それを止めたのが、繆賢の家来である藺相如です。

藺相如「燕王とは、どのような知り合いなのですか?」

繆賢「恵文王と会見した時に、手を握ってくれて友人になろうと言ってくれた仲だ」

藺相如「それは、趙が強く燕が弱小だから、恵文王のお気に入りの繆賢様と友人になろうと言っただけです」

藺相如「今、繆賢様は恵文王の怒りを買っています。燕に行っても優遇はされず、恵文王の怒りを恐れて趙に連行されるのが目に見えています」

これを聞くと繆賢は、その通りだと恐れたじろいだそうです。しかし、藺相如は次のようにアドバイスを送ります。

藺相如「恵文王であれば、繆賢様が処刑台に乗り誠意を込めて謝れば許してくれるかも知れません」

繆賢「そうする以外に道は無さそうじゃな」

繆賢は、藺相如のアドバイスの通りに実行すると、見事に恵文王に許されて元の地位に戻る事が出来ました。

藺相如のアドバイスで繆賢は救われたわけです。

趙の恵文王と言う人は、辛抱強い人でもあり、藺相如は恵文王の性格を見ぬいてのアドバイスだったのでしょう。

恵文王の父親である趙の武霊王は趙の全盛期を築きますが、趙の恵文王は父親程の大胆さはありませんが、守成の名君と呼べそうです。

 

藺相如が出世する機会を繆賢が作り出す

趙には、楚から送られた国宝である和氏の璧がありました。

これを秦の昭王が話を聞きつけて、15城と交換しようと言い出します。

しかし、趙の宮廷では秦に騙されて、和氏の璧だけ取り上げられて、城は明け渡さない可能性もあるので困っていました。

かといって断れば秦軍が攻めてきます。

難しい外交だったので、使者になる人物がいませんでした。

その時に、繆賢が恵文王に推薦したのが家来の藺相如です。

先ほどの、恵文王と繆賢の和解の話を説明し繆賢は藺相如を推薦したのです。

恵文王は藺相如と会談して使者として相応しいと判断し使者に任命しました。

ここにおいて、藺相如は歴史の表舞台に立つ事になりました。

秦王への使者が宦官の家来では秦王に失礼になる事から、藺相如は恵文王直属の家臣になることが出来たのでしょう。

後に、藺相如は廉頗趙奢と並び、趙の最高位に就く事になります。

尚、恵文王に藺相如を推薦する時に、【知勇兼備の士】という言葉を使っています。

余談ですが、原泰久先生の漫画キングダムで藺相如は知力と勇気はあるが武に欠ける、武を補うのが堯雲趙峩龍の役目という事なのでしょう。

 

宦官でも、まともな奴がいる

宦官というと、後漢の霊帝でいう十常侍、三国志の蜀の劉禅でいう黄皓、秦末期の二世皇帝胡亥における趙高など悪役に適した人物が数多くいるイメージです。

さらには、趙の悼襄王や幽穆王時代の郭開を連想する人もいる事でしょう。

因みに、郭開は史実では宦官という記録もありませんが、廉頗や李牧に行った行為から宦官のイメージに合っていると考える人もいます。

ちなみに、キングダムで李信や政が頑張って作った統一王朝である秦を内部から滅ぼしてしまったのは、宦官の趙高とです。

趙高の場合は、丞相の李斯蒙恬などの重臣も罪を着せて殺害しています。

このように【宦官=悪】というイメージが強いのですが、繆賢のように賢い宦官もいるわけです。

藺相如は、繆賢のそういう所が気に入って家来になった可能性もあります。

その後、藺相如は出世して上卿になるわけですが、繆賢がいなかったら歴史に名を残す事はなかったでしょう。

秦に対しても、恵文王は領土をかなり割譲されていた可能性もあります。

繆賢は、偉大な人だなと思いました。

繆賢の名前をよく見ると、「賢い」という字ですね。名前は能力を表すのかも知れませんね。

 

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