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構成・文/宮下悠史

その他 三国志

馮氏(馮方女)は美貌を妬まれ悲劇の最後を迎えた女性

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馮氏(ふうし)は馮方女(ふうほうじょ)とも呼ばれた女性であり、袁術の側室にもなった女性です。

九州春秋によれば、馮氏の美貌は美しかった事が記載されており、美貌を以って袁術の側室になったのでしょう。

しかし、馮氏は美女であった故に、他の女性からの妬みを買い悲劇的な最後を迎えた女性でもあります。

馮氏と袁術の話を見てみると、袁術の人間性なども分かってくる様に思います。

三国志では王異孫尚香、劉氏などの過激な女性も登場しますが、馮氏は素直な性格を持った優しい女性だった様にも感じます。

今回は袁術の側室となり、美しい容姿をしていたとされる馮氏を解説します。

尚、馮氏は三国志演義にも登場し、皇帝になった袁術の皇后として描かれています。

 

馮方の娘

馮氏は司隸出身の人物である、馮方の娘とされています。

馮方の娘である事から、馮方女と呼ばれたのでしょう。

当時は後漢王朝が衰退した事で、あちこちで争いが勃発し、馮氏らも戦乱を避ける為に、揚州に避難したとも伝えられています。

中華の地では董卓が実権を握り董卓が呂布に殺害されたと思ったら、李傕、郭汜が争いを繰り広げました。

さらに、曹操も献帝の保護はしましたが、戦いを繰り返すなど、中原の地は酷く混乱した状態だったわけです。

それに比べると、揚州は袁術の勢力が強大な力を持っており、比較的な裕福な地を抑えていました。

尚、霊帝の妃となる何皇后の母親である舞陽君は、何皇后の美貌が皇帝に気に入られる程だと知っていたとする話があります。

同じ様に、馮方も娘の馮氏の美貌を見て、尊貴な身分になれると考えたのかも知れません。

 

袁術の側室となる

袁術は城から馮氏を見かけた事があり、馮氏の容姿に虜にされてしまい、自分の側室にしました。

勿論、袁術は馮氏の美貌に夢中になってしまいます。

異説はありますが、正史三国志の記述を読むと、袁術の後宮は豪勢な暮らしをしていた話があります。

それを考えると、馮氏も袁術の後宮に入り気に入られた事で、勝ち組に入れたとも言えるでしょう。

ただし、後宮はドロドロとした場所でもあり、危険な場所でもあったわけです。

 

女性達からの嫉妬を受ける

袁術は馮氏を寵愛しますが、ここで不安になったのが後宮の女性達です。

袁術の寵愛が馮氏に集中すれば、自分達は後宮を追い出されてしまうのではないか?とする危機感を抱きます。

さらに言えば、袁術が馮氏に夢中になるのが、女として許せなかったのでしょう。

袁術の後宮の女性達は団結し、策を練り馮氏を始末する事を考えます。

後宮の暗い部分が馮氏に向けられる事になります。

袁術が好む女性のタイプ

袁術の夫人や後宮の女性達は、馮氏に次の様に述べています。

「袁術将軍は節操のある人物が好みです。

あなた(馮氏)は袁術様と会う時は、号泣したり悲しみ、想いに耽っている様子を見せるのがよいと思います。

そうすれば、袁術様に大事にされ寵愛はずっと続く事でしょう。」

馮氏は素直な性格だった様で、後宮の女性たちの言葉を信じ、袁術の前で涙を流したりしたわけです。

しかし、後宮の女性が馮氏にしたアドバイスは全て嘘であり、馮氏を始末する為の策略でした。

 

袁術が馮氏を憐れむ

袁術が馮氏と会うと、いつも泣いている為に、袁術は次の様に思います。

袁術「馮氏は心に想う所があるに違いない。」

袁術の前で涙を流す、馮氏を袁術は憐れんだわけです。

馮氏の涙を見た袁術は、馮氏をさらに寵愛する様になりました。

これが後宮の女性達の罠です。

 

馮氏の最後

後宮の女性達は団結し、馮氏を絞殺してしまいます。

その上で馮氏の遺体を便所の梁に吊るしておきました。

馮氏の死を聞いた袁術は次の様に考えます。

袁術「馮氏は志を遂げる事が出来ずに、自殺してしまったのであろう。」

袁術は後宮の女性達の策略だとは気が付かずに、馮氏が自殺したと思ってしまったわけです。

馮氏に唯一の救いがあるとすれば、袁術が手厚く馮氏を葬った事でしょう。

馮氏は後宮に入って袁術の寵愛を得たが故に、非業の死を遂げてしまったと言えます。

 

大喬と小橋が馮氏の殺害と関わっていた!?

袁術が滅亡すると劉勲が袁術の夫人や後宮の女性などを手に入れた話があります。

しかし、劉勲は孫策周瑜の計略により城を奪われ、袁術から手に入れた品も奪われています。

孫策が劉勲を討伐した時に、美女として有名な大喬と小橋を手に入れた話があります。

大喬は孫策の妾となり、小橋は周瑜の妾となりました。

この経緯を考えれば、大喬と小橋も袁術の後宮にいた可能性があり、馮氏の殺害に協力した可能性もあるのではないでしょうか?

もちろん、明確な記録があるわけではありませんが、馮氏と大喬や小橋が関わっている可能性もゼロではないはずです。

史実の大喬や小橋を見ると、馮氏以上に記録がなく分からない事が多いと言えます。

馮氏の評価

馮氏ですが、悪女の要素は全く感じず、女性たちのアドバイスに従うなど、素直な女性にも感じました。

素直な性格ゆえの悲劇だとも言えるでしょう。

似た様な話が戦国時代に楚の懐王と鄭袖にもあります。

馮氏を見ていると、生き抜く為には、他人のアドバイスに従うだけではなく、自分で考える必要もあると言う事なのでしょう。

馮氏の死は、人の意見を聞くだけではなく、自分で考える事も重要だとする教訓にも感じました。

尚、歴史を見ると寵愛されればよいと言うわけでもなく、劉邦の夫人である戚夫人の様に寵愛されたが故に、不幸の死を迎えた人物も少なくありません。

逆を言えば、寵愛されなかった故に、運が回って来て皇后の母親になった薄姫の様な女性もいます。

中国の歴史を見ると、後宮には様々な逆転劇が度々あるような気がしてなりません。

 

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