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牛輔(ぎゅうほ)は精神崩壊した人物だが、天下人になる可能性はあった

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牛輔(ぎゅうほ)は董卓の娘婿であり、中朗将となり重用されていた話があります。

牛輔の部下には、李傕(りかく)、郭汜(かくし)、張済もおり、後に曹操の謀臣となる賈詡(かく)がいた事も分かっています。

牛輔は董卓が死んだ事で、人生が一転した武将だとも言えるでしょう。

最後は精神が崩壊し、勘違いから逃亡しますが、目を掛けていた攴胡赤児に裏切られて亡くなっています。

尚、個人的には牛輔は、天下を取る可能性があった人物だとも考えています。

因みに、上記の画像はコーエーの三国志シリーズ(三国志14)の牛輔ですが、斧を持っている事が分かります。

この斧は敵を倒す為に持っていたのではなく、自分を勇気づける為に持っていた様です。

今回は三国志の董卓軍の武将である、牛輔を解説します。

董卓の娘婿となる

どのタイミングかは分かりませんが、牛輔は董卓の娘婿となり中朗将となっています。

董卓の娘婿と言えば、三国志演義の李儒ですが、正史三国志では李儒が董卓の娘婿だった話はなく、牛輔が董卓の娘婿だった話があります。

董卓は張角が引き起こした黄巾の乱などでは、大して活躍はしませんでしたが、大将軍の何進が宦官に殺され、宦官たちは怒った袁紹らに皆殺しにされる事件がありました。

この混乱を制して、帝を保護したのが董卓であり、董卓は朝廷を手中に収める事に成功します。

しかし、袁紹を盟主とする反董卓連合が結成されると、戦いも起きています。

史実では董卓配下の徐栄が名将ぶりをみせ曹操、孫堅を撃破したりもしますが、呂布が胡軫の足を引っ張るなど上手く行かない部分も多々あったわけです。

董卓は洛陽では守りにくいと判断したのか、関中の長安に献帝を連れて遷都する事になります。

反董卓連合との戦いで、牛輔が何をしていたのかは記録がなく分かりません。

尚、長安に董卓が遷都した時に、朝廷の高官は董卓の一族が独占し、成人もしてない孫娘の董白までもが、侯に任ぜられた話があります。

それを考えると、牛輔が中朗将に任命されたのも、この時なのかも知れません。

 

陝に駐屯

正史三国志によれば、牛輔は陝に駐屯したとあります。

董卓が洛陽を放棄した時に、洛陽には朱儁を配置したわけです。

しかし、朱儁は董卓を献帝を引き離したいと思っていた様で、荊州の劉表を頼っていきます。

董卓は朱儁の後釜として楊懿を配置しますが、戻ってきた朱儁により敗れています。

朱儁は、その後に反董卓連合の結成を呼び掛けますが、多くの諸侯は袁紹の反董卓連合に靡いてしまい、朱儁に協力したのは陶謙が3千の兵士を送った位でした。

朱儁は采配に自信があったのか、僅かな兵で西を目指しますが、董卓は牛輔を陝に駐屯させ迎え撃つ事にしたのでしょう。

 

朱儁を破る

牛輔の校尉には、李傕、郭汜、張済らの猛将がいました。

西進してきた李傕、郭汜、張済らに対し、牛輔は兵を与え朱儁と戦わせたのでしょう。

李傕、郭汜らは猛将ぶりを発揮し、朱儁の軍勢を破る事になります。

後に分かりますが、牛輔はかなり用心深い性格をしており、李傕、郭汜、張済らに多めの兵を与えて朱儁と戦わせたり、陳留、潁川などの攻略を行わせてしまったのでしょう。

ここでの牛輔は、後方には董卓が控えていますし、敵に負けない事を大事と考え、李傕、郭汜、張済らに多くの兵を付けて出陣させた様に思います。

しかし、牛輔にとっては、これが裏目に出ます。

 

董卓の死

反董卓連合軍に勝利した牛輔ですが、ここで思いもよらぬ事態となります。

董卓が暗殺される

牛輔は董卓の娘婿だったわけですが、権力をほしいままにしていた董卓が、王允や呂布の手に掛かり命を落としてしまったわけです。

三国志演義では貂蝉なる女性が登場しますが、史実でも侍女を含めて女性関係もあったとされています。

話しを進めますが、董卓が亡くなった事で、牛輔は一転して窮地に陥る事になります。

反董卓連合軍と戦った徐栄や胡軫らは王允は従えさせようとしますが、牛輔は董卓の娘婿であり敵として考えたわけです。

王允は呂布の反対を押し切って、涼州勢の粛清を始め文人の蔡邕なども対象となっています。

もちろん、董卓の弟である董旻なども殺害されたわけです。

 

李粛を迎撃

王允と呂布は陝にいた牛輔に対し、李粛に討伐を命じています。

これにより、牛輔は正面には敵対している関東の諸将がいて、後ろには王允や呂布が控えている状態になってしまったわけです。

さらに、朱儁を攻撃させたり陳留、潁川を攻略させる為に、李傕、郭汜、張済らに兵を割いた事で、手元にいる兵は少なかったのでしょう。

しかし、少ない兵力でも牛輔は一致団結して戦ったのか、李粛の軍を撃退し、李粛は弘農に敗走し、最後は呂布に処刑されています。

李粛に勝利はしましたが、牛輔の不安が消える事はありませんでした。

 

不安に怯える日々

李粛を撃退した牛輔ですが、不安に怯える日々を過ごす事になります。

斧と刑罰台で自分を勇気づける

魏書に牛輔の記述があり、牛輔は「いつ自分が殺されるのか」と恐怖に怯え、職務を果たす事も忘れ不安な日々が続いた話があります。

牛輔は精神的に追い詰められていく事になります。

牛輔は常に兵士召集の割符を握りしめ、刑罰用の斧と首斬り台を自分の側に置き、自らを力づけしようしたとあります。

これを見ると牛輔は、かなりのプレッシャーがあり、「いつ自分が死んでもおかしくない」と考えていたはずです。

 

客に会うにも占いが必要

牛輔は客に会う時も、最初に人相見に占いを行わせ、反逆の気があるかないかを確認し、さらに筮竹を用いて吉凶を占ってから、漸く会見した話があります。

牛輔は、かなり用心深くなっているとも言えるでしょう。

中朗将の董越が牛輔を頼ってやってきた事がありました。

ここで、牛輔は董越を占うと、占い師は次の様に答えた話があります。

占い師「火が金に勝ち外が内を謀ると出ました。

これは外から来た者(董越)が内にいる者(牛輔)に、たくらみがあるという事です。」

これにより、牛輔は董越を直ぐに処刑した話があります。

しかし、占い師は董越に鞭を打たれていた者であり、董越を恨んでおり、占いを利用して復讐したと伝わっています。

この話は董越の因果応報と、牛輔の用心深さ(小心者?)を現わす話となります。

 

牛輔の最後

用心深くしていた牛輔ですが、最後の時が訪れます。

牛輔の陣営の兵士の中で、夜中に逃亡する者が現れたわけです。

それにより陣中が大騒ぎする事になります。

これを牛輔は、全ての者が反乱を起こしたと勘違いしました。

牛輔は攴胡赤児ら5人ほどを共にし、金を持ち城壁を乗り越えて逃亡する事になります。

牛輔は北に向かい黄河を超えようとしたと伝わっていますが、金品に目が眩んだ攴胡赤児により首を斬られてしまったわけです。

牛輔は逃亡に攴胡赤児を同行させたのは、攴胡赤児をかなり信頼していたからでしょう。

しかし、皮肉にも信頼していた、攴胡赤児らに裏切られる結果になってしまいました。

尚、攴胡赤児は牛輔の首を持ち長安に向かった話があり、王允や呂布から恩賞を貰おうと考えたはずです。

 

牛輔が天下人になる可能性はあった

李傕、郭汜が牛輔の所に戻ると、牛輔は既に亡くなっていた話があります。

さらに、5,6人で逃亡してしまった為に、兵士達は混乱し故郷に帰ろうとする者が続出した話があります。

牛輔が勘違いで身勝手に逃亡してしまった為に、兵士らは何をすればいいのかも分からなくなってしまったのでしょう。

ここに王允や呂布が涼州人を皆殺しにしている情報が入ってきたわけです。

李傕や郭汜はたじろぎますが、賈詡が長安に進撃し、董卓の仇を討つ事を進言したわけです。

李傕、郭汜は、賈詡の意見に従い、兵を西に進め王允や呂布を破り献帝を手中に収める事に成功しています。

これを考えると、牛輔も逃亡せずに、李傕、郭汜の帰還を待ち、賈詡の進言に従い長安に侵攻していれば、牛輔が献帝を手中に収め天下を取った可能性もあるでしょう。

牛輔は、小心者にも見える為、天下が長続きする様には思えませんが、一時的には天下を取る可能性はあったはずです。

それを考えると、残念な人でもあります。

 

 

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