西周

褒姒(ほうじ)は西周王朝を崩壊させた笑わない美女

スポンサーリンク

褒姒(ほうじ)は、周の幽王の妃であり笑わない美女として有名です。

西周王朝が滅んだのは、笑わない美女である、褒姒を笑わせてしまったからだとする話もあります。

古代中国三大悪女と言えば、夏の桀王の末喜殷の紂王の妲己、周の幽王の褒姒が、挙げられますが、褒姒は末喜や妲己とは違ったタイプの女性だと言えるでしょう。

尚、笑わない美女を笑わせてしまった周の幽霊は殺害され、周の平王による周の東遷が起き、春秋戦国時代に突入する事になります。

因みに、史記では褒姒の記述は簡略過ぎる為、列女伝の記述などで補い話を進めていきます。

 

竜の泡

褒姒の誕生には伝説があり、夏王朝まで遡る事になります。

夏王朝が衰えた時に、褒の国の神が姿を変え、二頭の竜になって現れる事になります。

二頭の竜は王宮にやってきて「儂は褒の国の二人の神だ」と述べます。

褒の国の君主は、どうすればいいか分からず、占いによって決める事にしました。

二頭の竜を生かすか追い返すか、占いますが、いずれも吉とでなかったわけです。

褒の国君が竜の泡を箱に入れ、しまって置く事を占うと吉と出ます。

ここで褒の国君は、竜の前にお供え物を並べると、竜は姿を消し泡だけが残る事になります。

褒の国君は泡を箱に入れ、国都の郊外に置く事にしました。

 

箱が開かれる

夏王朝は滅亡し、殷王朝が始り、その後に周の時代になりますが、褒の国君の箱を開けようとする者はいなかったわけです。

しかし、西周王朝も終わりに近づき、周の厲王の末に、褒の国君の箱が開かれると、泡が庭に流れ出て取れなくなります。

周王は女達を裸にして、泡に向かって叫ばせると、泡は姿を変え、黒トカゲとなり後宮に入り込む事になります。

後宮にいた童妾で、まだ7つにも満たない子供が、黒トカゲと出くわします。

童妾が成長し、15才の年齢になると、妊娠し周の宣王の時代に出産する事になります。

ただし、童妾は男性と交わりをせず、生んだ子であった為に、気味悪がり童妾が生んだ子を棄ててしまいました。

 

周を滅ぼす歌

周の宣王の時代に、娘たちの間で次の様な童謡が流行ったと言われています。

「山桑の弓に萁の矢筒 これが周を滅ぼさん」

周の宣王は、この話を聞いた後で、「山桑の弓に萁の矢筒」を売っている夫婦を見つけ、周の宣王は処刑しようとします。

周の宣王は、夫婦を殺そうとしますが、夫婦は夜のうちに逃げ出した事で、難を逃れる事になります。

夫婦は逃げる途中で、童妾が生んだ赤子が泣き叫ぶのを聞き、哀れに思い、赤子を褒の国に連れ去る事にしました。

童妾が生んだ赤子は、成長すると、優れた容姿を持ったわけです。

これが褒姒となります。

 

周の幽王が褒姒を手に入れる

後に、褒の君主である褒姁は、周から罪を問われる事になります。

褒姁が裁判に掛けられると、褒姁は例の童妾の子を周の幽王に献上します。

周の幽王は、献上された娘を見ると、非常に気に入り褒姁を許したわけです。

周の幽王は、褒姁に献上された娘を褒姒と名付ける事にしました。

 

褒姒が皇后になる

周の幽王には、申公の娘が皇后をしており、申公の娘が生んだ宜臼が太子をしていたわけです。

しかし、周の幽王は褒姒が伯服を生むと、伯服を後継者にしようと考えます。

これにより申公と周の幽王の関係が悪化します。

周の幽王は褒姒を皇后にし、太子を褒姒が生んだ伯服に変えてしまいました。

これにより周の幽王と申公は決別し、宜臼は周から出奔し申に逃げる事になります。

ここにおいて、褒姒は周の幽王の皇后となり、女性では周で最も尊貴な身分となったわけです。

 

堕落する幽王

周の幽王は、褒姒を手に入れると堕落する事になります。

褒姒と車をいつも同乗し、政を顧みず狩猟なども好き勝手に行う様になります。

周の幽王は褒姒を気にかけ、褒姒の機嫌を取る事にしました。

しかし、褒姒は笑わない美女であり、周の幽王が何をしても笑う事はなかったとされています。

周の幽王は、褒姒を笑わすのに万策は尽きたかと思われました。

 

笑わない美女が笑った話

周の幽王は外敵が王都に迫った時に、狼煙を上げ諸侯を集める仕組みを作っています。

しかし、ある時、間違いで狼煙が上がったのに、敵がいないという事件が起きてしまいました。

諸侯は周の首都鎬京に参上しますが、外敵がいなくて唖然とします。

諸侯や兵士達は、嫌な目で周の幽王を見た事でしょう。

この時に、褒姒は突如として大笑いをしたわけです。

笑わない美女である褒姒が大笑いした事になります。

 

西周の滅亡

笑わない美女である褒姒を笑わせた事で、西周王朝は滅亡する事になります。

周の幽王への求心力が低下

周の幽王は、狼煙を上げ諸侯を集め外敵がいない事が分かれば、褒姒が笑う事に気が付く事になります。

周の幽王は、褒姒を笑わす為に、外敵の侵入も無いのに、狼煙を上げ続ける事になります。

最初のうちは、狼煙を上げれば多くの諸侯が集まりましたが、段々と集まりが悪くなっていきます。

この時点で、西周は滅亡へのカウントダウンが始まったと言えるでしょう。

周の幽王は忠義の臣は殺害し、褒姒の言葉のみを信用する事になったと伝わっています。

もちろん、周の幽王は民衆からの信頼も地に堕ちる事になったわけです。

 

西周王朝の滅亡

周王朝の混乱を耳にした申公は、西夷、犬戎らと共に、西周の首都である鎬京を攻撃する事になります。

申公の攻撃に対して、周の幽王は狼煙を上げて諸侯に救援を求めますが、集まった諸侯は鄭の桓公しかいませんでした。

鄭の桓公は、周の幽王や褒姒を鎬京から逃がす事には、成功しますが、驪山の麓で申公や犬戎の軍に追いつかれてしまいます。

周の幽王、鄭の桓公、太子の伯服は殺害され、褒姒は捕らえられたと伝わっています。

その後、申に晋の文侯、衛の武公、鄭の武公、秦の襄公が終結し、周の東遷を行い元の太子である宜臼を洛陽に入れ東周が始まる事になります。

宜臼は周の平王と呼ばれる事になったわけです。

ただし、東周は春秋戦国時代とも呼ばれていて、周王は名はあっても実力は皆無な存在になってしまいます。

尚、申公は褒姒を捕えた時に、褒姒が笑っていた話があり、申も春秋時代の早い時期に楚に滅ぼされています。

申は地形的に楚に近い事もあり、不利な部分はありましたが、周王の平王を擁立する中心人物だったはずなのに、呆気なく滅びる事になったわけです。

 

褒姒の評価

褒姒は、末喜や妲己に比べると独特な女性ではありますが、国を滅ぼした傾国の美女と言えるでしょう。

詩経には、次の様に述べられています。

「光り輝く鎬京も、褒姒一人に滅ぼされり」

これは読んで字の如く、褒姒が笑わなかった為に、禍が起きた事を述べています。

尚、幽王は褒姒を笑わす事に熱心でしたが、人によっては幽王はなぜ、褒姒をくすぐるという事をしなかったのか?という疑問を持つ人もいるようです。

末喜や妲己とは違った意味での、悪女となってしまったのが褒姒と言えます。

 

褒姒は存在しなかった

末喜妲己が存在しなかった説は、紹介しましたが褒姒も存在しなかった説があります。

西周王朝では、周の文王や武王が王朝を建国してから、200年は経過している事になります。

西周王朝の全盛期は、成王、康王穆王の時代と言われていて、専門家の間でも見解は異なります。

しかし、周王朝では厲王の時代に周王が出奔する事になったり、共和で大臣が政治を行うなど、既に権力は周王から大臣や諸侯に移っていたとも指摘されています。

さらに、寒冷化により西の犬戎が食料を求め東に移動し、周王室の勢力範囲と重なる様になっていった話があるわけです。

三国志の前の後漢王朝でも、寒冷化により後漢王朝の勢力範囲に異民族が入ってきた事で、後漢王朝は軍を出したりして財政を圧迫させた話があります。

同じ様に西周王朝も、地球規模の寒冷化により民族移動が起こり、周の枯渇した財政をさらに圧迫したのかも知れません。

既に諸侯は、周王室から得るものはないと考え、犬戎や申公に攻められた時に、助けなかった説もあります。

褒姒はあくまでの伝説であり、西周王朝の滅亡は衰えた所に、寒冷化により異民族が侵入した説もあると言う事です。

 

 

スポンサーリンク

-西周