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華雄は猛将ではなく気の毒な人だった

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華雄は三国志演義では、董卓軍において呂布に次ぐ武勇の持ち主というイメージが強いのではないでしょうか?

実際に、光栄の三国志シリーズなどの能力値では知力や政治力、魅力は低めですが、武力に関しては90くらいが相場になっています。

多くの方が華雄と言えば汜水関において、多くの武将を討ち取った猛将だけど、関羽に不覚を取ったというイメージだと思います。

しかし、史実の華雄を見ると華々しい活躍はなく、むしろ上司の胡軫と呂布に翻弄された可哀そうな人にも見える位です。

お気づきの方も多いかと思いますが、三国志演義では華雄の部下が胡軫ですが、史実では胡軫の部下が華雄となっています。

ちなみに、胡軫も人間性に問題があり、胡軫の為に犠牲になったのが華雄だと言えます。

 

三国志演義での華雄の華々しい活躍

三国志演義での華雄はとにかく、凄い猛将として描かれています。

汜水関の戦いで董卓が誰を将として連合軍と戦わせるかを決める時に呂布が名乗り出ますが、華雄は「鶏を斬るのに牛刀を用いる必要はない」と自ら立候補し出陣しています。

三国志演義には華雄の描写があり、身長9尺、虎の体、狼の腰、豹の頭、猿の肘となっています。

変な表現にも感じますが、華雄は強靭な肉体と異様な体つきの人物として描かれているわけです。

名門汝南袁氏の袁紹が盟主となり、反董卓連合軍の先鋒が孫堅と決まりますが、これを快く思っていない鮑信は弟の鮑忠(架空の人物)に先回りさせ、汜水関に攻撃を仕掛けようと考えます。

しかし、鮑忠は猛将華雄に出くわしてしまい速攻で斬られてしまう事になります。

孫堅軍との戦いとなると、孫堅四天王の一人である祖茂を討ち取っています。

祖茂は策略を持って華雄を討ち取ろうとしますが、策略など物ともせずに華雄は祖茂を討ち取りました。

さらに、華雄の活躍は続き袁術軍の猛将である兪渉は数合撃ち合いますが、あっと言う間に華雄は兪渉の首を挙げます。

反董卓連合軍も冀州太守である韓馥が潘鳳を繰り出しますが、華雄の相手にはならず斬られました

このように反董卓連合軍が名だたる武将を出撃しても、華雄の相手になる武将はいなかったわけです。

これを目の当たりにして、袁紹は「こんな事なら顔良や文醜を連れて来るべきだった」と後悔しています。

三国志演義の設定とはいえ、普通で考えれば袁紹配下の猛将である顔良文醜を連れて来ないのは、袁紹が董卓軍を舐めているとしか思えません。

しかし、公孫瓚配下で劉備の義弟である関羽が華雄との一騎打ちを申し入れます。

袁紹は関羽の身分が低い事から反対しますが、曹操が関羽の出撃を許す様に説得しました。

曹操が景気づけに、関羽に酒を進めましたが、華雄の首を取ってきてから飲む事を約束します。

関羽は華雄を一撃で討ち取り首を持ち帰ります。

関羽が連合軍の本営に華雄の首を取ってきた時に、酒はまだ暖かかったそうです。

これを考えると、10分以内に華雄は討たれたとしか考えられません・・。

それでも、華雄は三国志演義では汜水関において、名だたる武将を討ち取る大戦果を挙げた事は間違いないでしょう。

史実にはない関羽の引き立て役になっているのが残念な所です。

余談ですが、正史三国志には華雄が汜水関で関羽と戦ったとする記録は存在しません。

もちろん、呂布と関羽、張飛、劉備が戦う虎牢関の戦いも三国志演義のオリジナル設定となります。

 

正史三国志の華雄

正史三国志の華雄は、はっきり言いますがパッとしません。

見せどころが全くない武将です。

史実と考えられる正史三国志の董卓と反董卓連合の戦いは全くの別物と考えた方がよいでしょう。

董卓軍の将軍である徐栄が曹操と孫堅を立て続けに破り、孫堅が陽人の城に籠り胡軫と呂布の二人が討伐に向かう事になります。

胡軫の部下で都督をしていたのが華雄です。

胡軫は日頃から横柄な性格であった事から呂布や諸将は嫌っていました。

胡軫はやる気満々で、孫権が籠る陽人の城に猛スピードで駆けつけたわけですが、部下はへとへとになってしまいます。

華雄も疲労困憊であったはずです。

疲労が溜まっている胡軫の軍に呂布が、敵が攻めて来たとか、敵が逃げるところだなどの偽情報を流したわけです。

呂布は味方である胡軫に偽の情報を流すと言う普通ではありえない事を行っています。

この時の胡軫の軍は疲労が極度に達してしまい部下達の士気も上がりません。

胡軫は呂布の流言を信じ、疲労困憊で動きが鈍い軍を率いて孫堅の籠っている陽人を攻めたわけです。

しかし、孫堅が陽人の城を固く守った為に胡軫は成果を挙げる事が出来ませんでした。

そうした中で華雄は孫堅軍に討ち取られてしまった話があります。

史実の華雄は猛将として暴れまくって討ち取られたわけではなく、呂布の偽情報により疲労が極度に達したところで討ち取られたと考えた方が自然だと言えます。

胡軫の都督である華雄は部下の士気が上がらない事に悩み自ら前線に出て鼓舞しようと思ったのかも知れませんが、呆気なく討ちとられてしまった可能性もあります。

これが正史三国志での華雄の活躍?です。

その後、胡軫は孫堅が籠る陽人の城を攻略できずに退却しています。

味方の呂布のせいで、胡軫は敗走し華雄は討死したとも言えるでしょう。

ただし、呂布が諸将に「胡軫の足を引っ張ろう」と提案した時に、諸将も賛同したという事なので、胡軫の人望のなさは異常だとも感じています。

史実での華雄は上司にも恵まれなかったと言うべきでしょう。

尚、人望が皆無な胡軫がなぜ将軍に選ばれたのかですが、胡軫の家は涼州の名門であり将軍になったと言えます。

胡軫は武勇はありましたが、先にも言った様に性格に問題があったようです。

 

三国志演義でなぜ大活躍する描き方になったのか?

史実だと何の見せ場もない華雄を胡軫の上司にして、大活躍したように三国志演義では描かれています。

史実の華雄を知っていれば「ありえない活躍」となるわけですが、三国志演義の著者である羅貫中が呂布と胡軫の板挟みになった華雄を気の毒に思い、その結果として大活躍する結果になったのかも知れません。

三国志演義は史実6虚構4とも言われていますが、華雄にしてみれば史実1虚構9くらいになっていると思いました・・・。

三国志演義で、華雄が呂布に次ナンバー2の猛将として描かれるのは半官贔屓の類だと言えるのかも知れません。

それと、華雄と言う名前が「華」とうい姓と「雄」とうい男性を指す力強い名前から、名前に華があると感じ羅貫中が猛将にした可能性もあります。

華雄という名前は、何となく華があり強そうなイメージがあるはずです。

ちなみに、私は董卓軍において武力ナンバーワンは呂布だと思いますが、戦の巧みさナンバーワンは徐栄だと思っています。

しかし、徐栄は三国志演義ですと曹操を苦しめますが、夏侯惇に呆気なく槍に突き刺されて死んでいます・・・。

董卓配下には問題児の呂布や胡軫がいて、問題児の犠牲になったのが優等生の華雄や徐栄なのかも知れません。

 

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