その他 春秋戦国時代

犬戎が周王朝を滅ぼしたのか!?

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犬戎の史実を中心に解説します。

周王朝はトータルで700年ほど続きますが、周王朝の力が諸侯を上回っていた時代が西周王朝です。

一般的には周の武王が殷の紂王を牧野の戦いで破った紀元前1045年から周の幽王の末年(紀元前771年)までを西周と呼びます。

周の力が衰微して洛陽に遷都(周の東遷)し諸侯の方が周よりも実力があったのが、東周の時代となります。

東周時代の別名が、春秋戦国時代です。

尚、この時代の分かりにくい所なのですが、洛陽の東周もその後に東周と西周に分裂しています。

非常にややこしいですよね・・・。

春秋戦国時代は、日本に室町幕府の力が衰えて群雄割拠したのと似ています。

名目上は足利将軍である室町幕府がありますが、実際には天下を運営していない状態です。

話しを戻しますが、犬戎は西周王朝を終わらせるのに大きく貢献しています

その辺りを今回は紹介します。

尚、犬戎は西戎と呼ばれたりする事も多いです。

犬戎の正体は遊牧民になるかと思いますが、匈奴との関係は分からない事が多いです。

犬戎は殷の頃から周と戦っていた

周王朝の前は、殷王朝になるのですが、その頃から犬戎はいたようです。

周王朝は、周の武王姫発(人名)が開くわけですが、その前は文王と呼ばれた姫昌がいます。

配下には、太公望呂尚や、周公旦、召公奭など優秀な人材が集まっていました。

文王は、殷の諸侯だったわけですが、この頃に姫昌が犬戎を討伐した記録があるのです。

そして、領土を広げる事に成功しています。

つまり、キングダムの世界よりも800年ほど前からいたと言う事になります。

歴史で言えばかなり古い民族です。

 

周王朝が成立しても犬戎と戦っている

殷の紂王を周の武王が牧野の戦いで破ります。

そして、時代は殷から周に移る事になります。

しかし、犬戎との戦いは終わらなかったようです。

周王朝(西周)末期の幽王の頃には、周が衰えた事もあり積極的に周に侵入するようになってきます。

地球規模の寒冷化により、犬戎達は食に困り西周の領域に侵入した話もあります。

秦と犬戎は激闘を繰り返す

秦と犬戎は、西周王朝の頃から激闘を繰りかえしてる事が史書に書かれています。

秦王政のご先祖様である秦仲(人名)は、犬戎討伐に向かいますが、逆に殺されてしまった歴史があります。

秦仲の子である秦の荘公は、再び犬戎征伐に向かい、今度は秦が勝利を収めました。

見事父親の仇を討ったわけです。

しかし、犬戎との戦いはこれで終わりません。

秦の荘公の長男は「世父」と言いますが、「犬戎は我が祖父秦仲を討った。犬戎を討伐するまでは国に帰らない」といい国を弟である襄公に託します。

そして、世父自身は犬戎との戦いに明け暮れたようです。

ただし、世父が犬戎に捕まり釈放された記述もあるので、余り上手くは行かなかったのでしょう。

しかし、世父は意地は見せてくれたようです。

 

犬戎が西周王朝を滅ぼす

西周王朝も幽王の時代になると、権力争いも激しくなってきました。

最初の太子は、諸侯である申公の娘の子である宜臼でした。

しかし、幽王が褒姒と呼ばれる美女を手に入れると、宜臼を廃嫡して、褒姒の子である伯服を太子にします。

これに怒り申公が犬戎と手を組み西周の首都である鎬京に攻め込みました。

幽王の常識を余りにも外れた「オオカミ少年」的な行為があり、諸侯は幽王の救援には現れませんでした。

そして、犬戎と申公は鎬京を破壊尽くしたというわけです。

幽王は逃げますが、驪山の麓で殺されています。

これにより、西周王朝は滅んだわけです。

しかし、元の太子であった宜臼を申公・衛の武公・晋の文侯・秦の襄公・鄭の武公などの諸侯の力で洛陽に入り東周王朝が始まります。

宜臼は周の平王となりますが、既に周の力を諸侯が上回っている状態で、名目だけの周王です。

ここにおいて、秦も周から正式な諸侯として認められています。

犬戎ですが、申公と組んで周を攻めて滅ぼした事は間違いありませんが、その後は土地を割譲したとも、そういう話も聞きません。

そのため、案外、申公に上手く使われただけの可能性もあります。

それか周王朝の宝器などを略奪して終わりだったのかも知れません。

 

春秋戦国時代の犬戎

春秋戦国時代の犬戎ですが、秦と戦いを繰り返していました。

しかし、秦は手ごわく押され気味になっていきます。

秦に名君である穆公が出ると、何度も討たれています。

これにより秦の穆公は周王朝から覇者として認められました。

穆公は春秋五覇の一人に数えられる事もあります。

秦の穆公は重耳を晋に送り届けた事でも有名です。

穆公が亡くなった後も、犬戎と秦はしばしば戦闘になっています。

犬戎はしぶとく対抗したようですが、最後は秦と同化してしまったり、匈奴の一部になったりして消滅してしまったようです。

 

キングダムでの犬戎

犬戎が漫画キングダムに登場しました。

ロゾという人がボスですが、かなり狂暴そうな面々が集まっています。

犬戎は「オオオオオオオオオオ!」とか犬っぽい雄たけびを上げるところも「犬」の一族をイメージさせます。

犬戎が周王朝を滅ぼした事にキングダムではなっていますが、実際には西周王朝を滅ぼすのに協力したというべきでしょう。

キングダムの世界では、その残党がいて、その親玉がロゾになっています。

ただし、ロゾは史書には見えないキングダムだけのオリジナルキャラクターとなっています。

キングダムの犬戎達は趙王(悼襄王)は嫌いですけど、李牧は好きなようです。

尚、キングダムの話しの中では、李牧が振舞う上手い羊の肉と引き換えに趙軍として戦闘に加わる事になっています。

これには、周囲の人達も驚いていましたが、私も思わず驚いてしまいました。

普通、肉を褒美にするだけで、喜んで戦闘に参加する人はいませんからね・・。

ロゾの価値観がよく分からない所でもあります。

李牧との間に、深い友情でもあるのでしょう。

尚、キングダムの漫画内では、犬戎の親玉たちは楊端和や山の民に討ち取られてしまいました。

鄴攻めの方でも、趙側は龐煖藺相如配下であった堯雲趙峩龍などが李信王賁などに討たれ、鄴も桓騎王翦らにより陥落する事で幕を閉じたわけです。

キングダムの鄴攻め攻めは長い期間に渡って描かれ、歴史ファンにとってみても、「まさか犬戎が現れるとは」と言った感じで見所も多かったように思います。

鄴攻めは、王翦が9つの城を落とすなど、史実に沿った内容もよかったと感じています。

 

犬戎のまとめ

犬戎についてですが、大まかな歴史を紹介しました。

しかし、犬戎については中華と違って文献が少ないです。

それも、中華の人達が書いた書物に登場するので、犬戎が遊牧民族だったとか、どのような生活をしていたか?などは分からない事が大半です。

中国と違って記録を付ける様な文字も無かったからでしょう。

しかし、犬戎の一撃が西周王朝を終わらせて、各国が互いに争う春秋戦国時代に入った事は間違いありません。

尚、犬戎と組んだ申ですが、春秋時代の早い時期に、楚によって滅ぼされています。

キングメーカーになったはずの国なのに、呆気なく滅びた感が強いです。

案外、犬戎を裏切った為に恨まれて、犬戎は楚に協力して滅ぼしたのかも知れませんね。

その辺りは、記述がないので不明ですが・・・。

 

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