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構成・文/宮下悠史

春秋戦国時代

騎劫(きごう)は噛ませ犬となった燕の将軍

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名前騎劫(きごう)
生没年不明
斉(戦国)
年表紀元前279年 楽毅の代わりに将軍となるも田単に大敗を喫する
コメント史記でも屈指の噛ませ犬の様な存在

騎劫は斉を滅亡寸前にまで追い込んだ、楽毅の後任として将軍となった人物です。

史記などを見ると、楽毅が更迭された後に、将軍となり田単の策略に悉く引っ掛かった噛ませ犬にしか見えません。

小説ではありますが、東周列国志の方に騎劫に関する記述があり、今回は東周列国志の騎劫の記述も合わせて解説します。

しかし、東周列国志でも騎劫は「噛ませ犬」であり、活躍する場面は特にありません。

尚、資治通鑑の胡三省注によれば、騎劫の「騎」は官名とする説と騎は姓だとする説もあります。

 

騎劫の讒言

東周列国志によれば、即墨の将軍である田単は燕の楽毅を更迭したいと考えていました。

田単は燕に対し流言を行うと、騎劫は燕の太子(後の燕の恵王)に、次の様に述べた話があります。

騎劫「斉の湣王は亡くなり、斉の城で攻略出来ていないのは莒と即墨の二城だけです。

楽毅は半年で斉の70城を抜いたのに、莒と即墨を落とせないのは、斉の民衆の心を掴んでいないと判断しているからです。

楽毅は斉の民に恩徳を与え、斉の人々の心が集まった所で、自立して斉王になろうと画策しています。」

燕の太子は元々、楽毅の事を嫌っていた事もあり、父親である燕の昭王に騎劫の言葉を伝えました。

燕の昭王は太子の言葉を聞くと激怒し、次の様に述べたわけです。

燕の昭王「昌国君(楽毅)は、あれほどの功績を立てたのであるから、斉王になるのは当然である。」

この時の燕の昭王の怒りは凄まじかった様で、太子に対しては20回も鞭を打った話があります。

燕の昭王は楽毅に対し、斉王になる様に使者を派遣しました。

しかし、楽毅は涙を流し斉王の位を辞退し、燕の昭王に対し死をもって忠誠を誓ったわけです。

燕の昭王は楽毅に対し「儂は楽毅の本心を知っている。楽毅は決して私を裏切る事はない」と述べます。

即墨を守っていた田単は、楽毅が更迭され騎劫が将軍になってくれればありがたいと思っていた話があり、燕の昭王の話を聞くと次の様に述べました。

田単「斉が復興するとしたら、燕が次の王に変わった時になるであろう」

この時の田単はため息をついた話があり、燕の昭王と楽毅の間には、固い結束があると判断したのでしょう。

しかし、燕の昭王は紀元前279年に亡くなってしまいます。

燕の昭王は斉の湣王の打倒には成功しましたが、斉を完全に滅ぼす前にこの世を去ってしまったわけです。

燕では恵王が即位する事となります。

 

田単に踊らされる

燕の昭王が亡くなった事で、ほくそ笑んだのが田単であり、楽毅が謀反を企んでいると燕に噂を流します。

燕の恵王は楽毅を更迭し、騎劫を将軍に任命しました。

楽毅は身の危険を感じ、趙の恵文王の元に亡命し、騎劫は即墨を落とす為に、戦場に向かう事となります。

東周列国志によれば、即墨に到着した騎劫は楽毅の軍令を改めた事で、多くの諸将が不満を抱いたとあります。

軍令を改めるなどは、長平の戦い廉頗が更迭され、趙括が将軍となり、軍令を変更したのと重なる様にも感じます。

騎劫は斉は滅亡寸前であり、楽に城を落とせると思っていたのかも知れませんが、予想以上に即墨の守が固く落とす事が出来なかった様に思います。

楽毅が攻めても、即墨を落とすのに手こずっていたのに、騎劫が攻めても落すのは難しかったとも言えるでしょう。

予想外の斉の反撃を受けて、騎劫も焦ったはずです。

三国志で呉の諸葛恪が張特が守る合肥新城を大軍で攻めたのに、抜く事が出来ず苛立った話がありますが、この時の騎劫も似た様な状態だったのかも知れません。

焦る騎劫に対し、田単は民衆を奮起させる為に、「斉の人々は、捕虜の鼻を削がれる事を恐れている」、「宗廟を焼かれる事を恐れている」などの情報を燕軍に流しました。

騎劫は田単の流言を信じ、捕虜の鼻を削ぎ墓を荒し斉の民衆の宗廟を焼いたわけです。

残酷な燕軍に対し、即墨の人々は激しく怒り燕を敵視する様になります。

さらに、田単は老人や婦女を城壁に立たせるなど、油断をさせた上で騎劫に降伏を願い出ました。

この時に、騎劫は周囲の者に、次の様の問うた話が東周列国志にあります。

騎劫「儂と楽毅では、どちらが優れているだろうか」

これに対し、燕軍の諸将は「騎劫」だと答えた事で、騎劫は多いに喜んだ話があります。

燕の将兵も斉を滅ぼせば戦いが終わると考えたのか、燕軍の中で万歳まで起きたわけです。

燕軍は完全に油断していたと言えるはずです。

騎劫の最後

田単の降伏は偽りであり、田単に牛の角に刃を仕込み尾に火を点けて、真夜中に燕軍に向けて放つ事になります。

燕軍は斉が降伏すると思っていた事で、多いに慌て混乱状態となります。

田単は牛に続いて将兵を自ら指揮し、燕軍に突撃を仕掛けました。

この時の田単が率いた斉軍の突撃は凄まじかった様で、燕軍を蹴散らし総大将の騎劫まで討ち取ってしまった話があります。

東周列国志によれば、騎劫は驚いて車に乗って逃げようとしますが、田単と遭遇してしまい、田単が一撃で騎劫を討ち取っています。

実際には、騎劫が田単自身に討ち取られた事は無い様に思いますが、斉軍の決死の突撃の前に討ち取られたか、捕らえられたかのどちらかなのでしょう。

ただし、田単率いる斉軍により、騎劫率いる燕軍が大敗し、楽毅が降した斉の城を全て奪われたのは事実だと言えるでしょう。

燕の恵王も楽毅を更迭し、騎劫を将軍にしてしまった事を後悔した話があります。

尚、騎劫を破った田単は、斉の襄王を迎え入れて、斉を救った英雄となったわけです。

騎劫の評価

史記などを見ると、騎劫は楽毅に代わり将軍となり、田単の術中に落ちた「噛ませ犬」の様な将軍だと言えます。

しかし、斉軍に討ち取られた事を考えると、斉軍に対し態勢を立て直そうとして、奮戦した可能性もある様に感じます。

小説ではありますが、東周列国志には、騎劫には勇力があった記述があり、武勇に優れた人物だったのかも知れません。

ただし、田単に対し噛ませ犬にしか見えない事もあり、将軍としての資質は普通以下だった様にも感じました。

それでも、劇辛などを凌いで、燕の将軍になっている事を考えると、燕の恵王のお気に入りの将軍だった可能性もある様に思います。

燕の恵王は騎劫に功績を立てさせたいと思って、出陣させたのに、田単にボロクソにやられてしまったとも言えるはずです。

 

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