春秋戦国時代

司空馬と趙の滅亡前夜

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司空馬が趙の滅亡を予言したお話です。

キングダムでは登場するかは分かりませんが、興味深い話だと思ったので記事にしました。

尚、司空馬は趙の滅亡を予言しただけではなく、李牧の死も予言しています。

実際に、その通りになり趙は滅亡しました。

今回は戦国七雄の遊説家の記録を中心にまとめた戦国策の記述を元に作成してあります。

因みに、司空馬は司馬遷が書いた史記には登場しない事もあり、知名度は低い人物だと言えます。

 

司空馬が趙の宰相になる

司空馬は、劉向が書いた戦国策に詳しく記述があります。

それによると、呂不韋が失脚した時に、秦を離れて趙に来たそうです。

趙の幽穆王は司空馬を仮の宰相にしたとあります。

司空馬は秦の呂不韋の下で尚書の位にあり秦については精通していたようです。

それもあって秦対策の顧問として司空馬を仮ではありますが、宰相にしたのでしょう。

尚、キングダムの読者であれば趙の宰相と言えば李牧を思い浮かべるかも知れません。

しかし、李牧が趙で宰相になった記述は史記の始皇本紀の始皇帝の回想の中で一行あるだけで、史実ではない可能性もある様に思います。

ただし、李牧は、当時無敵を誇っていた秦軍を何度も破った事で大将軍に任ぜられています。

 

司空馬と幽穆王の問答

司空馬と幽穆王の問答が戦国策には記載されています。

司空馬「趙と秦を比べてみて国が大きいのはどちらでしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「民はどちらの方が多いでしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「資金が豊富にあり穀物が豊かなのはどちらの国でしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「政治を司る宰相はどちらの方が優秀でしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「将軍の武勇や能力は秦と比べてみて、どちらが優れているでしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「法律はどちらの方が整備されているでしょうか?」

幽穆王「秦には及ばない」

司空馬「全ての事で秦に及ばないわけですから、趙は秦に滅ぼされる事になりましょう」

このような問答が行われています。

確かに、全てにおいて趙が劣っているわけですから、滅亡する事になりますよね・・・。

しかし、将軍の武勇に関しては李牧がいるわけですから、秦には王翦がいるとはいえ引けはとらないのではないでしょうか?

ただし、趙は有能な将軍が李牧しかいない様に見えますが、秦には王翦、蒙恬王賁蒙武李信などもいます。

将軍のトータルでは秦の方が圧倒的に上だと言う事なのかも知れません。

尚、宰相は司空馬なわけで、宰相を目の前にして「遠く及ばない」という宣言は失礼に当たるような気もしますが・・・。

しかし、この問答にはまた続きがあります。

 

司空馬が趙の半分を秦に割譲するように進言

趙の幽穆王は司空馬に秦から趙を守るための秘策を聞きたいと言います。

2つの事を司空馬は進言しています

1つ目の策ですが、趙の国土の半分を秦に割譲してしまいます。

これで国土の半分が失われてしまうので、趙は国力が半分になってしまう事は必須です。

しかし、趙が国土の半分を失ったとなれば、諸侯は次の災いが自分に来ると思い合従の同盟を結べると言うのです。

趙は名目上は趙の半分を失いますが、山東の諸侯と同盟することが出来れば、秦に国力を拮抗させる事が出来るという策です。

しかし、幽穆王はこの策を退けています。

既に、趙は邯鄲の南にある閼与なども秦に奪われています。

首都邯鄲に近くまで秦の領土になっているわけです。

さらに、領土で言えば趙の全盛期であった武霊王の頃の4分の1以下になっていた事でしょう。

幽穆王は河間の12県を秦に与えた事があったようですが、結局は再び秦に攻められてしまい国は荒らされています。

つまり、秦に土地を割譲したところで秦を強くするだけで、難を逃れる事は出来ないと言ったわけです。

これ以上の土地を割いてしまったら、趙は国として保つことが出来ないとも考えたのでしょう。

確かに、春申君や龐煖が合従軍(趙・魏・韓・燕・楚)を率いて、函谷関とを攻めましたが敗れています。

函谷関の戦いでは春申君が敗れ、蕞の戦いでは秦の咸陽付近まで龐煖が攻め込みましたが、蕞を落とす事が出来ず撤退しています。

その事から、合従軍では秦を止める事は出来ないと考えたのでしょう。

さらに、当時は既に秦は韓を滅ぼし天下の半分を手中に収めています。

そのため合従軍が結成された位では、秦はビクともしないとも考えたはずです。

 

司空馬が趙の全軍を率いて秦と戦うと進言

趙の領土を半分割譲する策を取り下げると、別の策を講じて欲しいと幽穆王は言います。

すると、司空馬は自分が趙の全軍を率いて秦とぶつかると言います。

司空馬は兵は引きいた事はないが、秦には若い時からいたので、地形には詳しいし秦の内情にも詳しいと言うのです。

そこで、司空馬を将軍に任命して兵を率いて秦にぶつかる策を進言したわけです。

しかし、幽穆王は司空馬を将軍に任命する事はしませんでした。

兵を率いた事がない人間が兵を率いるのはギャンブル的な要素が強いからでしょう。

初陣が総大将でも、趙奢閼与の戦いで秦軍を破った例もあります。

しかし、趙括のように長平の戦いで白起に敗れて40万の趙軍が生き埋めにされた例もあるからです。

長平の戦いでは、趙は歴戦の猛者である廉頗を更迭し、初陣の趙括が秦の王齕からバトンタッチされた名将白起と戦う事になり45万の兵を失う歴史的な大敗を記録しています。

そのため戦争に行った事がない司空馬を将軍に任命するのを、幽穆王は控えたのだと考えられます。

趙の国の空気として、将軍の大抜擢は控えようとする空気があったのかも知れません。

自分の考えでは趙の全軍を率いて秦に当たるのであれば、司空馬よりも李牧の方が適任ではないかと思います。

李牧は秦を何度も破っていますから兵士たちの信任も厚い事でしょう。

その事から李牧を補佐する形で司空馬に任務を与えるのがベストではないかと感じました。

しかし、司空馬は土地を割譲し合従の同盟を結ぶ策と自分が将軍となる策を退けると趙を去っています。

自分の言う事が聞けないのに、いても仕方がないという理由です。

 

司空馬が李牧の死と趙の滅亡を予言

司空馬は平原(地名)の方に移動したようですが、そこでの言葉が残っています。

平原の役人である郭遺が秦は趙を攻めたが、どうなるかを司空馬に問います。

司空馬は自分の意見を用いられなかった事から、趙は滅びると言ったわけです。

いつ頃滅びるかですが、武安君(李牧)が生きていれば1年、武安君が死ねば半年と答えています。

しかし、幽穆王は韓倉(史記では郭開)を信任しているが、韓倉は佞臣で功臣を妬む性質があるから、李牧は殺されると予言します。

司空馬と郭遺の言葉で趙の滅亡と李牧の予言をしていますが、これは的中する事になります。

李牧は司馬尚と趙を守っていましたが、韓倉に讒言されて自殺に追い込まれています。

司馬尚は罷免されて庶民に落とされてしまいました。

キングダムで言う趙の三大天は姿を消したわけです。

秦は章邯が函谷関の外で奮戦しながらも、胡亥趙高を重用する事で滅亡しましたが、趙は李牧を殺害し韓倉(郭開)を重用した事で滅びる事になります。

そして、五カ月後に秦の王翦楊端和羌瘣に攻め込まれて、邯鄲は陥落し幽穆王は捕らえられて趙は滅亡したわけです。

悼襄王(幽穆王の父親)の元の太子でる嘉は、代に逃亡し代王となります。

ただし、代王嘉も紀元前222年に李信・王賁に攻められて完全に趙は滅亡しました。

尚、司空馬がその後にどうなったのかは分かりません。

子孫なども不明です。

 

趙の滅亡について

司空馬の話は、趙が滅亡するべくして滅亡した話でもあります。

しかし、当時の趙が如何に弱体化していたかが分かる話でもあります。

この話は趙の滅亡の1年ほど前になるかと思いますが、既に韓は滅亡していました。

既に秦1国で中華の半分の領土を保持していた事でしょう。

そのため合従軍を結成しても自分的には難しいなと感じました。

さらに、兵を率いさせるのであれば司空馬よりも李牧が適任でしょう。

ただし、李牧は守備の名将とも呼ばれていて、領土を攻めるのは苦手だったのかも知れません。

しかし、個人的には、李牧に趙の全軍を預けて秦に突きすすんでもらいたかったんですけどね・・・。

あと、幽穆王は李牧が死んだら趙は滅亡すると言う事が分からなかったのでしょうか?

普通で考えれば「こいつ(李牧)が死んだら趙は終わりだよな・・。こいつと運命を共にするしかない・・。裏切られたら終わりだ~\(^o^)/」となってもいいような気がするのですが・・・。

ただし、幽穆王の母親である悼倡后や春平君が秦から賄賂を貰っていた話もあり、内部崩壊していた可能性も十分にあります。

戦国時代末期は李牧と項燕、位しか秦に対抗できる将軍はいませんでした・・・。

そのため李牧と運命を共にすると考えられなかったところに、趙の滅亡もあったのかも知れません。

尚、韓倉(郭開)の最後はどうなったのかは分かりません。

しかし、韓倉みたいなのが、国政を牛耳ってしまうと国は滅びるのでしょう。

秦における趙高が趙の韓倉になるはずです。

 

キングダムで司空馬は登場するのか

余談ですが、春秋戦国時代を題材にした漫画であるキングダムでは、現在の所、司空馬は登場していません。

現在のキングダムでは、秦の六大将軍復活の話(王翦、蒙武、楊端和、桓騎、最後の一人は空席)の話がありましたが、趙の三大天鄴攻めの最後に龐煖が李信に敗れた事で空位となっています。

現在の趙の軍事の最高司令官は李牧が一人いるだけです。王都の守護神と呼ばれた扈輒(こちょう)は史実では、平陽の戦いで桓騎に大敗した位しか記述がありません。

それを考えれば、三大天が完全復活する為には、李牧、司馬尚と最後の一人が司空馬でもいいのかな?と感じました。

ただし、司馬尚は李牧と趙の最後の戦いに名前が見えるだけであり、史実の実績は不明ですし、司空馬も兵を率いた記録がない。

それを考えると趙の三大天の復活は難しいのかなとも思いました。

尚、趙が人材の宝庫だった時代は、趙の幽霊穆王の曽祖父である趙の恵文王の頃であり、廉頗、藺相如、趙奢、楽毅、田単などがいました。

恵文王の父親である趙の武霊王の時代は、趙は領土は最大化した話がありましたが、胡服騎射を実現させた武霊王だけが目立っている状態です。

それを考慮してみても、司空馬が趙に来た時には趙の人材は枯渇しており、趙の滅亡は見えていた状態だったのでしょう。

先に述べた様に司空馬は史記には登場しない事もあり、マイナーな人物ですが、個人的には登場して欲しいと思います。

 

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