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チグリス川と古代都市

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チグリス川はユーフラテス川と並びメソポタミア文明において重要な河川と言えます。

ユーフラテス川に比べると、チグリス川の方が洪水が起きやすい傾向にあります。

メソポタミア北部にあったアッシリアの重要都市であるアッシュールやニネヴェなどの都市はチグリス川の湖畔にあった事が分かっています。

アッシリア帝国の首都であったアッシュールやニネヴェの図書館、ニネヴェの空中庭園なども有名です。

現在のイラクの首都であるバクダートもチグリス川の湖畔にあり、古代メソポタミアの時代から現代まで重要な河川だと分かります。

チグリス川とユーフラテス川はクルナ(地名)で合流し、ペルシア湾に流れていくわけです。

ユーフラテス川と同様に、チグリス川の灌漑農業を行う事で、チグリス川流域の都市も発展していきます。

チグリスユーフラテス川の下流域の沖積平野は、農業生産力が高く都市や文明が発達する要素が多く含まれています。

尚、メソポタミアの名前の由来はチグリス川とユーフラテス川の川の間であり、「川の間」を意味するギリシア語がメソポタミアです。

 

チグリス川の場所

チグリス川はトルコの山岳部にあるとも言われ、僅かな距離ですがシリアを流れ大部分はイラクを流れていきます。

水源から河口までの距離は約1900キロであり、ユーフラテス川の2800キロと比べると短いのが特徴です。

覚え方としては、名前が短い方が河川の長さも短いチグリス川だと覚えておけば良いでしょう。

名前も長さも長いのがユーフラテス川です。

尚、古代のユーフラテス川は現在の位置よりも東を流れていた事が分かっていますが、チグリス川は古代から流れが殆ど変わっていない事も分かっています。

因みに、チグリス川の流域も肥沃なる三日月地帯に入り、古代では高い農業生産力があった事が分かっています。

 

チグリス川は洪水が起きやすい

チグリス川はユーフラテス川に比べると洪水が起きやすい傾向にあります。

チグリス川の支流が山地から直接本流に流れ込む事もあり、水位が急増しやすい事が原因です。

チグリス川は古代から暴れ河として有名であり、たびたび洪水を引き起こした話があります。

尚、チグリス川もユーフラテス川も水源の地方は冬に雪が降り春になると雪が解けて増水し、時には洪水に発展します。

 

チグリス川の神話

チグリス川も神話では水の神であるエンキが作ったとされています。

粘土板によれば、水の神であるエンキがユーフラテス川を作った後に、男性器を持ち上げ婚礼の贈り物をもたらし、大きな野生の雄牛の様にチグリスの心を震わせ、チグリスが出産した時にそばにいた。と独特の表現で書かれています。

婚礼の贈り物などの表現をしていますが、男性の体液の事であり、エンキがユーフラテス川を作った時と変わりが無いようです。

楔形文字で書かれた粘土板によれば、シュメール人が使っている灌漑用水路を最初に作ったのも水の神エンキだと書かれています。

 

チグリス川の周辺で栄えた古代都市

チグリス川の周辺で栄えた古代都市を紹介します

シュメール人の都市国家ラガシュ

シュメール人の都市国家と言えば、メソポタミア地方の南部にあった、ウルやウルクを代表するユーフラテス川近郊の都市を思い浮かべる人も多いはずです。

シュメール人の都市国家であるラガシュはチグリス川下流の湖畔にあった事が分かっています。

ラガシュにはラガシュ第一王朝と第二王朝があり、メソポタミア中流域にいたアッカド人がサルゴン1世を中心に勢力を伸ばすと、アッカド帝国の傘下になりますが、反乱を起こした記録も残っています。

ラガシュはウル第三王朝の勢力が伸びて来ると、抵抗しますがラガシュ王ナンマハニはウル・ナンムに敗れて殺されています。

 

ミタンニ王国の宮殿跡

チグリス川の東岸でミタンニ王国の宮殿跡が発見された事が話題となりました。

ミタンニ王国はフルリ人の国であり紀元前1500年から1300年頃に栄えた国です。

ミタンニ王国はシリアやメソポタミア北部を領有し、古代エジプトや鉄の民族ヒッタイトとも激突した強国だと考えられています。

近年の干ばつやダムの影響により、チグリス川の水位が下がった事で、ミタンニ王国の宮殿の跡が姿を現しました。

発見された宮殿から見下ろすチグリス渓谷は壮大なものがあったと考えられています。

尚、ミタンニ王国の首都であるワシュカンニは、ユーフラテス川の支流であるバブル川の流域にあった事が分かっています。

 

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