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構成・文/宮下悠史

その他 春秋戦国時代

盗跖と泥棒の道・悪行三昧でも天寿を全うできる?

2021年4月20日

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中国の春秋戦国時代には盗跖という伝説の盗賊がいたとされています。

呂氏春秋にも盗跖の事が書いてあり、おもしろいと思ったので記載しておきます。

尚、同様の話しが荘子にも掲載されていました。

司馬遷の史記の列伝の最初には、伯夷叔斉列伝があり、盗跖の事も記載があり考えさせられる内容です。

ちなみに、某漫画では白起と盗跖が繋がってしまったりしますが、架空の話しではないかと私は考えています。

白起と盗跖が会ったと言う資料が見つからないからです。

尚、キングダムでもチョイ役でもいいので盗跖を登場させてみたら面白いかも知れません。

 

泥棒の道とは

盗跖は配下が9000人いて大盗賊の親分だったとされています。

盗跖がある時、仲間の一人に質問されました。。

仲間の盗賊「泥棒にも道があるのだろうか?」

盗跖「もちろんあるさ。家の中を見当をつけて物品を調べる事。これを聖い(かしこい)という」

盗跖「家の中に真っ先に入る。これを勇気と呼ぶ」

盗跖「仲間が出た後に、最後に出るのは義侠の心だ。」

盗跖「タイミングを見て家に忍び込むには知恵が無くてはいけない」

盗跖「盗んだ物は仲間で公平に分ける。これを仁と呼ぶ」

盗跖「これらの事が出来ずに大泥棒になった者はいない。泥棒にももちろん道はある」

これを盗跖が言ったとされています。

もちろん、盗跖は伝説上に人物のようなところもあり、本当に盗跖が言ったかは分かりません。

尚、呂氏春秋では、「このような弁論であればない方がマシである」と最後に結んでいます。

しかし、聖・勇・義・智・仁などは、当てはめようと思えば、何にでも当てはまるのかも知れません。

暴走族であったとしても、警察がいない所を見計らって暴走行為を行う事を聖い(かしこい)と言う。

危険な運転をする事を勇気があると言う。警察に見つかった時に、仲間の最後を走るのを義と呼ぶ。

暴走するタイミングを計る事を智と呼ぶ。暴走が終った後に、仲間と楽しみを分かち合う事を仁と呼ぶ。

このような感じで、物事であれば何でも仁義道徳などにも置き換える事が出来ると思いました。

道徳心の暴走と言えるかも知れません・・・。

 

孔子と盗跖の対談

孔子は盗跖を改心させようと思い出かけます。

孔子は考え方を改めるのであれば、諸侯にも推薦して大臣になれるように取り計らおうとしたとも言われています。

しかし、道徳観などに対しては盗跖は疑問があり孔子に次のように述べています。

尾生の信

尾生の信というのが、盗跖が批判する所でした。

尾生というのは、女の子と橋の下で会う約束をしていたわけです。

しかし、女の子はいつになっても来ません。

そのうち雨が降ってきて、水が増水しましたが、尾生は橋の下から離れる事をしませんでした。

そして、最後は橋に抱き付き亡くなってしまった話です。

この話は当時であれば、尾生が約束を守ったとして評価されていたようです。

しかし、盗跖は異を唱えるわけです。

「約束や名誉を重んじて命を粗末にするのはよくない」というわけです。

尾生の行動は生き物としての道理から外れていると非難したわけです。

ちなみに、盗跖は大量殺人も犯しているわけで「お前が言うなよ!」とツッコミを入れたくもなります。

しかし、公子は盗跖に反論する事も出来ずに、盗跖と別れました。

孔子は、自分が盗跖を説得することが出来ずに「愚かな行動をした」と反省したそうです。

しかし、私からして見ても尾生の行動は理解が出来ません。

尾生の目的は女の子と会う事だったはずで、橋の下で待つ事では無かったはずです。

待つのであれば、橋の上に移動して待つべきだったでしょう。

それに、女の子としてみても尾生のような融通が利かない男は逆に嫌なのではないかと思います。

女の子が来たとしても、性格が原因で尾生は振られたと私は予想します。

尾生にとってみれば大きなお世話だと思いますが・・・。

 

韓非子にも盗跖が登場します。

韓非子合従連衡などを非難していますが、代わりに法を強くして国を治める事を説いています。

その韓非子の中にも盗跖が登場します。

韓非子の言うには、「人間は少額の落し物は着服するが、大金であれば盗跖であっても拾わない」と述べているのです。

これを例に出して法を強化する事を説いています。法を強化すれば少額であっても着服する人は減ると韓非子は考えたのでしょう。

私は日本人の普通の人間であれば、少額の落し物は着服して、大金は交番に届けると思いました。

流石に1円を拾って交番に届ける人は少ないと思われます。

しかし、盗跖の様な大泥棒であれば少額だろうが、大金であろうが容赦なく着服してしまうと思うわけです。

盗跖ほどの大泥棒になれば他の人とは感性が全く違うと思うので、大金であれば盗跖でも拾わないというのは違うかなとも思いました。

ただし、盗跖は泥棒としてのプライドがあり路に落ちている物は拾わない。

「物は厳重な家の中に忍び込んで手に入れる物だ!」と考えていれば、拾わない可能性もあるでしょう。

 

司馬遷と盗跖

先に少しだけお話ししたように、司馬遷の史記の列伝の部分の最初は「伯夷叔斉列伝」です。

司馬遷は列伝の部分を一番気合いを入れて書いているとも言われています。

その最初の人物に選ばれたのが伯夷叔斉列伝です。

伯夷・叔斉の兄弟は殷の紂王を討伐する武王を「非道だからと君主を討伐するのはよくない」と武王に訴えかけました。

武王の側近たちは伯夷、叔斉を殺そうとしますが、軍師である太公望呂尚は「これ義人なり」と言い殺さずに去らせる事にしました。

武王は紂王を破り周王朝を開くわけですが、伯夷・叔斉の兄弟は周の食料を食べるのは悪だと考えて、首陽山に登り山菜を食べていましたが、食べ物が無くなり餓死しています。

自分たちの正義を貫いた結果として餓死したわけです。

それに対して、盗跖は毎日罪がない者を殺し、人に肉を食べ、数千人の徒党を組み天下を荒らしまわったが天寿を全うしています。

これに対して司馬遷は、盗跖に対し「何の徳を行ったのか?」と天に対して疑問を投げかけているわけです。

伯夷や叔斉のような道徳観がある善人が餓死して、毎日悪事をしている盗跖が天寿を全うするのがおかしいと考えたのではないでしょうか。

 

因果応報について

司馬遷の気持ちというのも分からないでもない気がします。

司馬遷自身は李陵を庇った為に、漢の武帝の怒りを買い宮刑に処されています。

司馬遷としてみれば自分は悪い事をしたわけじゃないのに、処罰されるのに納得出来なかったのでしょう。

それに対して、盗跖は毎日のように悪事をしながらも、処罰される事もなく天寿を全うしています。

因果応報という言葉があります。良いことをすれば良い事が帰ってくるし、悪い事をすれば悪い事が帰ってくるという考え方です。

徳を積むなどの考え方も因果応報と関係が深いと思っています。

しかし、現代でよく考えてみると因果応報にとらわれ過ぎるのもどうかなと感じました。

例えば、朝は早くから会社に行き夜遅くまで仕事をする。

残業手当は申請せずに、全て無料でやりみんなが嫌がる仕事も進んでやり、さらに休みの日はボランティア活動をしている人がいたとします。

普通で考えれば間違いなく善人だと思いますし、凄い人に思うかも知れません。

しかし、この人が人生で女の子にモテモテで仲間にも恵まれて、良いことばかりが起こるのか?と言ったら違うと思うわけです。

無料残業をしまくった事で最終的にお金に困る事も考えられますし、病気になった時に会社から捨てられる可能性もあるでしょう。

自分としては「良い事をするだけじゃなく、他にも何かしらの行動を起こす事が大事」だと思いました。

女の子にモテたいのであれば、髪型、服装、美容、ダイエットするなども必要です。

善行を行えば、それだけでよい事が向こうからやってくるという物ではないでしょう。

盗跖が天寿を全うできたのは、善行は行わなかったけど、天寿を全うできるだけの行動はしていたと言う事だと思います。

だからと言って悪人や悪事を始める事はやめてくださいね。

現代において盗跖と同じことをすれば、刑務所に入る事になるでしょう。

しかし、盗跖のエピソードなどは人として考えられる部分が多い様に思いました。

 

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