古代オリエント

ユーフラテス川と世界最古の都市文明

2021年2月20日

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宮下悠史

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世界最古の都市文明はユーフラテス川の湖畔に出来たと考えられています。

ユーフラテス川はメソポタミア文明を知る上でチグリス川と同様に重要な河川でもあります。

チグリス・ユーフラテス川とセットで習った方も多いはずです。

チグリス川が暴れ川と呼ばれたのに対し、ユーフラテス川は交通の大動脈にもなっています。

尚、チグリス河とユーフラテス河の間をメソポタミアと呼び世界最古の文明が出来たとされる地域でもあります。

ユーフラテス川の場所

ユーフラテス川の大部分は、現在のイラクの属しています。

しかし、ユーフラテス川の全てがイラクではなく、水源はトルコのアナトリア東部にあり、シリアやアラブを通過し河口付近のイラクのバスラまで2800キロの長さがあります。

因みに、チグリス川とユーフラテス川が覚えられないという話しはよく聞きます。

上記の図を見ると分かる様に、短い方がチグリス川、長い方がユーフラテス川と覚えておくとよいでしょう。

余談ですが、古代のユーフラテス川は現在の位置よりも、かなり東の方を流れていた話があります。

その為、メソポタミアの古代遺跡は、現在のユーフラテス川の位置から、外れた地域で発見される事が多いわけです。

チグリス・ユーフラテス川が洪水を起こす事で、沖積平野を作り出しメソポタミア発展の原動力になったとされています。

シュメール人以前のウバイド文化も、ユーフラテス川の湖畔で発展したと考えられています。

ユーフラテス川誕生の神話

メソポタミア地方で発見された楔形文字で書かれた粘土板によれば、ユーフラテス川は水の神であるエンキにより作られたとあります。

エンキは男性器を持ち上げて、精液を出しユーフラテス川を水で満たしたとの記述があるのです。

メソポタミアの人々にとって、生命を与えてくれる重要な河川であり、当時の人々の思想が分かる気がします。

因みに、チグリス川もエンキが似た様な事をして作った事が粘土板に示されています。

シュメール人の都市

シュメール人の都市であるウル、ウルクなどの都市はユーフラテス川の下流に出来た都市です。

ラガシュに関しては、チグリス川の流域にあったと言う専門家もいれば、チグリス・ユーフラテス川の中間にあったと言う人もいます。

シュメール人達はユーフラテス川を利用し、灌漑農業を敷く事で都市を大発展させる事に成功します。

川は上流よりも下流の方が豊かな土地になりやすく、シュメール人の都市は発達したのでしょう。

尚、シュメール人がいた地域は、当時の世界のGDPの大半を占めていたと考えられる肥沃なる三日月地帯であり、農業が発展しやすい場所だったと言えます。

農業が発展すれば、専門職など技術も発展し楔形文字や太陰暦や天文学などの高度な文明が発達したと考えられます。

尚、ユーフラテス川の付近にあるウルクでは楔形文字が誕生する事になります。

銅の河

メソポタミア南部にいたシュメール人は、ユーフラテス川の事を「銅の河」と呼んでいた事が分かっています。

人類が実用化に成功した最初の金属は銅だとされていますが、銅の鉱石がイラン方面からペルシア湾を通りユーフラテス川を遡ってシュメール人の都市に届いた事から「銅の河」と呼ばれたとされています。

メソポタミアの地域では、ユーフラテス川は作物を実らせるだけではなく、交通の大動脈でもあったわけです。

バビロン第一王朝のハンムラビ法典では、第240条にユーフラテス川を遡る場合の責任が明記されています。

ユーフラテス川は古代メソポタミアの王朝にとっては、重要な河川であり法律によるルールの整備が必要だったのでしょう。

ユーフラテス川の畔に栄えた古代都市

古代メソポタミア文明の重要な都市と言えば、バビロンを思い浮かべる人も多いはずです。

バビロンを首都とした王朝はバビロン第一王朝からバビロン第十一王朝まで存在します。

アムル人が建てたバビロン第一王朝から、海の国第一王朝(バビロン第二王朝)、カッシート王国(バビロン第三王朝)と続いて行きますが、これらの首都はバビロンでありユーフラテス川の湖畔のあったわけです。

新バビロニアが紀元前539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされるまで、バビロンはバビロニア(メソポタミア南部)の重要な都市だったと言えるでしょう。

バビロンは紀元前1800年ごろから栄える様になり、オリエントで第一の都市と呼ばれる事もあります。

オリエントの北方に目を向ければ、フルリ人の国と呼ばれるミタンニ王国は、ユーフラテス川の支流であるバブル川上流にワシュカンニに首都を定めています。

尚、ミタンニ王国はチグリス川の東岸にも宮殿の跡が発見され注目を集めています。

バビロンやワシュカンニの繁栄もユーフラテス川の力が大きいと言えます。

防御施設としてのユーフラテス川

メソポタミアの地は開けた地形であり、攻めやすく守りにくい地形であり、争いが多かった話があります。

その中で、ユーフラテス川は天然の要塞としての役割を果たした話が存在するのです。

メソポタミア地方では、西の国境はユーフラテス川と定められる事が多かった話もあります。

世界最古の都市はメソポタミアのユーフラテス川の湖畔で誕生したと覚えておきましょう。

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