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構成・文/宮下悠史

春秋戦国時代

堯雲・趙峩龍が藺相如の武力の源だった

2021年4月22日

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キングダムでは王翦による「鄴攻め(ぎょうぜめ)」が行われています。

そこに、堯雲と趙峩龍という二人の武将が戦場に投入されました。

朱海平原の戦いです。

尚、堯雲という名前は中国の伝説の五帝の4番目に当たる「堯」の名前と、三国志の趙雲の「雲」の字が入っています。

如何にも、人徳があり知勇兼備の武将という感じがしますね

この二人は過去には幻の三大天・藺相如の家来だった事が明かされています。

藺相如の武についてなどの記載をします。

尚、史実には堯雲と趙峩龍の名前が見当たりません。

残念に思う人もいるかも知れませんが、堯雲と趙峩龍は架空の人物のようです。

ただし、こういう人たちは嫌いではありません。

 

藺相如は武がない?

史実の藺相如を見ると、戦場に行った記録が1回しかありません。

廉頗将軍が何度も戦争で指揮を執った記録があるのに、藺相如は1回だけです。

主に外交などの文官として活躍したためでしょう。

藺相如を推薦した宦官繆賢「知勇兼備の士」という言葉を使っています。

しかし、三大天に入る条件としては「武」というのが必須条件に思います。

そこで、藺相如の武を補う存在として堯雲と趙峩龍なのでしょう。

尚、藺家10傑なるものもが存在したかの様にキングダムでは描かれていますが、史実を見ると藺家10傑も記録がありません。

 

藺相如の平邑への遠征

藺相如の1回の戦争記録ですが、斉の平邑まで攻め込み引き返した記録があります。

記録としては、これだけなので、どのような戦いがあったのかも分かりませんし、平邑を落とせずに引き上げたのか、戦果を挙げて帰ったのかも分かりません。

ただし、平邑の場所が現在の中国における平邑県を指すのであれば、斉の首都である臨淄(りんし)の南にあるため国境付近の戦いではなく、かなり斉の領内まで侵攻した事になります。

趙は北方の国ですので、斉の首都である臨淄の南方に位置する平邑を攻めているからです

どれ位の規模の遠征かは分かりませが、斉の奥地まで行ったのではないかと思われます。

戦果が分からないのは残念な気がします。

 

堯雲・趙峩龍の最後

堯雲・趙峩龍ですが、登場した時は獅子奮迅の大働きをします。

しかし、「鄴攻め(ぎょうぜめ)」は残念ながら、趙が王翦に敗北する運命にあるわけです。

堯雲は王賁に敗れ死亡する事になります。

この時に堯雲は藺相如から授かった言葉があると言い、「何があろうと、振り上げた刃は、必ず、最後まで振り下ろせ」と言い残して世を去る事になったわけです。

趙峩龍も信(李信)に、王騎の姿を見たりしますが、最後は討ち取られています。

堯雲も趙峩龍も残念ながら、李信と王賁に討たれてしまったわけです。

趙軍では龐煖も登場しますが、李信に討ち取られて朱海平原の戦いは秦軍の勝利となり、鄴も桓騎が包囲を続け陥落する事になります。

鄴攻めで趙は、龐煖、堯雲が死亡するなど多くの損害を出す事になりました。

この様な中で趙の、悼襄王が亡くなり太子である趙嘉が即位するかに思われましたが、郭開などの思惑もあり趙遷が幽穆王として即位します。

李牧は罪を問われ捕らえられますが、青歌の司馬尚の所に避難する事になります。

実際には李牧「鄴攻め」で采配を振るった記録はありません。

李牧が秦軍と戦うようになるのは、悼襄王が亡くなり幽穆王が即位してからです。

尚、上記がキングダムで藺相如が亡くなった時の堯雲の姿ですが、よく描かれていると感じました。

堯雲と趙峩龍は朱海平原の戦いでは残念ながら亡くなってしまいましたが、二人の活躍や手ごわさは敵ながらあっぱれだと思っています。

 

 

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